シャッターチャンス

 きっかけは同級生から送られてきた句集だった。

「おい、こういう場合、祝儀が要るのか?」

「お礼の手紙でいいんじゃない?お祝いを兼ねて」

「興味のない者に送りつけるのも考えもんだなあ」

「定年過ぎて趣味があるだけましだと思うわよ」

 あなたも何か始めたら?という妻の一言で、博明は再びカメラにのめり込んだ。学生時代に凝ったことがあるだけに、この五年間ですっかり腕を上げた博明の作品は、一昨年、市の文化祭で教育長賞を受け、昨年はとうとう市長賞を取って、やがて行き詰った。

「来年も先生の作品、楽しみにしていますからね」

 いつの間にか先生などと呼ばれて期待されるようになると、もう下手な写真は撮れなかった。

「出かけて来る」

 こんな時間に?という妻の声を背に、博明は望遠レンズを装着したデシタル式の一眼レフと三脚を車に積んだ。

 文化祭の締め切りが迫っているのに納得のいく作品がまだ撮れていない。郊外まで出て、満月をバックにススキの群れのシルエットを撮りたかったが、思うようなシーンに巡り会えないまま、一時間ほど走った山のふもとが異様に明るかった。

 遠くでかすかにサイレンの音がした。

 夢中で車を寄せた博明の目の前で一軒の木造家屋の屋根が抜けて夜空に炎の柱が立った。

 震える手でカメラを構えて連続シャッターを押すと、瞬きを繰り返すファインダー越しに、黒々とした男の影が炎の中から飛び出して来た。

 男は片手で子供を抱き、もう片方の手で女を引きずっていたが、女は盛んに男の手から逃れて炎の中へ引き返そうとしていた。

 到着した三台の消防車を野次馬が取り囲み、家は黒煙と火の粉を舞い上げながら崩れ落ちた。

 その夜のうちにデータを送った博明の写真は、翌朝の新聞の一面を飾り、文化祭の市長賞だけでなく、新聞社主催の報道写真コンクールでも最高の賞を受けた。

「すごいシャッターチャンスですね」

 授賞式から帰って来ると一通の封書が届いていた。

『あの火事で、寝たきりの義母と下の娘を亡くしました。手紙を出すことに夫は反対しましたが、命懸けの私たちの姿をカメラで覗いていた人を私は許せません…』

「あなた何やってるの?お祝いの電話よ」

 妻の弾んだ声が聞こえて来た。