放物線

 近くに大学があるからだろう。達郎が通勤に利用するようになった駅の出入り口には、待ち合わせをする若者たちがたむろして煙草を吸っていた。喘息の持病のある達郎は、彼らの吐き出した煙の中を、息を止めて突っ切らなくてはならない。しかもその若者たちの格好ときたら、髪を染め眉を細め、ひょっとすると鼻や唇にまでピアスを光らせて、醜悪そのものではないか。

 達郎は意を決して事務室に飛び込んだ。

「何とかなりませんか、あの連中。そもそも出入り口に喫煙コーナーを設置するのは迷惑ですよ」

 職員に抗議するつもりだったが、

「あ、切符は順番ですのでお並びください」

 と言われたとたんに気後れした。

 いつものことだった。目の前の出来事に率直に反応する前に、悲観的な結果を想定して立ち止まってしまう。

「おっしゃることはごもっともですが、喫煙場所を設置するとしたら、煙のこもらないあの場所しかありません。公共機関としましては、嫌煙権と同様に喫煙権についても配慮しなければならない点をどうかご理解ください」

 職員の言葉まで想像がついた。

 苦々しい思いでプラットホームに上がると、ここにも大勢の若者たちがいた。

 女性の露出した肌にも男性のイヤホンから漏れる音楽にも一切心を動かさない覚悟で達郎は列に加わった。

 ジーンズに赤いTシャツ姿の学生が隣の列に並んだ。

 学生は缶コーヒーを片手に持ち、もう片方の手で財布をズボンの後ろポケットに入れようとしていたが、

「いけね!」

 プラットホームを間違えたことに気が付いて、慌てて走り去ったあとに財布が落ちていた。

 拾おうとして達郎はまたしてもためらった。拾えば電車を一つやり過ごして駅員に届けなければならない…と、達郎の前に並んでいた金色の髪の若者が財布をわしづかみにした。

 財布の持ち主が反対側のプラットホームの階段を駆け上がった。

「お~い、赤いシャツの人!財布落としたよ!」

 若者が大声を上げた。

 どちらのホームの乗客たちも若者を見た。

「いくよ!」

 若者の投げた財布が線路の上にさわやかな放物線を描いて学生の手の中に吸い込まれた。