福祉サービスの死角(5)

 突然ケアマネジャーを名乗る前田玲子という女性が訪ねて来て、板橋保佐人からの紹介で担当することになりましたと名刺を差し出されても、敬三には板橋保佐人の記憶がなかった。

「本日はアセスメントと言って、吉島さんのケアプランを作成するために色々とご希望をお尋ねしますね」

 たくさんの質問をして帰って行った前田玲子は、再び訪ねて来たときは敬三の一週間のタイムスケジュールをプリントしたケアプランなるものを見せて、

「ご説明致しますので、ご異存がなければ、ここに署名捺印をお願いします」

 と言うが、手渡されたプランは敬三の理解を超えている。

「吉島さんは長年一人で生活していらっしゃったので、デイサービスのように、お年寄りが集団で一定時間過ごすようなサービスは好まれないと考えて、日に三度、ヘルパーが訪問してお世話する計画にしましたが、よろしかったですよね?」

「はあ…」

「朝は朝食のお世話の他に、洗濯や掃除がありますから一時間、昼は調理だけですから三十分、夜は食事に加えて入浴がありますからやはり一時間、通院の付き添いが必要な日は、朝の訪問時間を延長して対応します。あと、たまには外食したいとか、買い物に出かけたいという場合は、別にヘルプを差し向けます。名刺の番号に遠慮なくお電話を下さい。要介護1の限度額では足りませんが、保佐人の板橋さんから費用の心配はないと聞いておりますので、吉島さんに快適に過ごして頂くことだけを考えて計画を作成しました」

 いかがですか?と聞かれれば、敬三の能力では、うなずく以外に選択肢がない。

「それではご本人からご了承頂いたということで、早速、保佐人の板橋さんにご説明申し上げ、契約が成立次第、サービスを開始するということでご理解下さい」

 前田ケアマネジャーは笑顔を見せて、

「私は月に一度様子を見に伺いますが、基本的には菊池というヘルパーがお世話致しますのでよろしくお願いしますね」

 白い軽自動車を見送る敬三の脳には、一連の出来事は痕跡を留めない。認知症の脳は、小石を投げ込んだ池の水面のように、いっときは波紋が広がるが、すぐに何事も無かったように静まり返る。

 一方、板橋保佐人の了解を得て事務所に戻った前田は、菊池ヘルパーに事の経緯を説明した。

「さすがですね、所長。認知症のプランはデイサービスが中心になるものですが、ヘルプだけで組み立てれば、全額うちの事業所の収益になります」

「身内がいれば、こううまくは行かないわよ。穏やかで裕福な一人暮らしの認知症高齢者…。事業所にとっては理想の利用者よ。めったにないチャンスだから大切にしなきゃね」

「問題は保佐人ですね」

「弁護士は介護の分野は素人よ。自分でもそう言ってた。それに本人の意思を尊重するのが保佐人の仕事だから、私たちが本人の意向をうまく演出すれば、大抵のサービスはフリーパスだわ。ふふふ、手厚いケアができるわよ」

 目の前の信号が黄色に変わったが、前田玲子はアクセルを踏んですり抜けた。