身上監護(3)

 『愛染かつら』のイントロが始まると、いつものように川上すずは、少し照れながらも、どこか得意げにスタンドマイクの前に立った。認知症デイサービスの終わりは、カラオケの好きな利用者が、思い思いの曲を順番に歌いながら、帰りのバスを待つのが日課になっていた。

「待ってました!すずさん」

「よ!高石かつ枝」

 いつもより格段に多い職員の拍手と掛け声に、すっかり気を良くしたすずが、身振り手振りよろしく三番まで歌い終わったところへマイクロバスが来た。

「それじゃ、すずさん、向こうでもその調子で歌ってあげて下さいね」

「すずさんの『愛染かつら』、たくさんの人が楽しみに待っていらっしゃいますから、張り切ってお願いしますよ」

 向こう?たくさんの人?すずには訳が分からない。バスに乗るのを手を振って見送られるのは初めてだったが、それでも何だか晴れがましくて、すずは窓の外に手を振って応えた。

 やがてバスは見知らぬ家の前で停まった。

 運転手に促されてバスを降りるすずを、数人の笑顔の人々が拍手で迎えた。その中の男性に見覚えがあった。

「すずさん、民生委員の山脇です。皆さんお待ちかねですよ」

「さあ、『愛染かつら』、頑張って歌って下さいね」

 戸惑いながら玄関を入ると、すかさず『愛染かつら』のイントロが始まった。広いリビングの壁際に画面付きのカラオケセットが用意されていた。マイクを握るすずに、巨大なテーブルを取り巻いて座る十数人の男女が盛んに拍手を送った。すずが歌い終わってもカラオケは続いた。次々と数人の高齢者が自慢の声を披露し、すずは椅子に座って拍手する側に回った。

 楽しかった。

「さあ、カラオケ大会はこれで終わりです。またやりますので、皆さん、日頃から練習をしておいて下さいね。それではさきほど『愛染かつら』をとても上手に歌って下さった新しいお仲間をご紹介しましょう」

 川上すずさんです!と言われて拍手をされてしまえば、すずは立ち上がってよろしくと頭を下げざるを得ない。

「すずさん、良かったですねえ、こんないい所が見つかって…。いえね、道路拡張のために家を移転しなければならなくなったとすずさんから相談されて、実は私も困っていたのですよ。まさか八十三歳の一人暮らしで新築という訳にも行かないでしょうし、新築すればいずれ仲の悪い甥御さんが相続することになる。それはすずさんは好まれないでしょうし…」

 山脇民生委員にそう言われても、すずには何のことだか分からない。分からないながらも、自分の財産を、最期まで意地の悪かった姉の息子に相続させるくらいなら、山脇の言う通りにした方がいいとすずが思ったとき、巨大なテーブルに夕食の配膳が始まった。

「皆さん、お食事ですよ。手を洗って席に着いて下さい」

 大きな鏡の前に蛇口が並ぶ洗面所で手を洗ったすずを、

「あ、すずさんのお席はこちらですよ」

 促されて座った巨大な楕円形のテーブルには、すずの好物のオムライスが、目の覚めるような黄色に赤いケチャップを乗せて並んでいる。