身上監護(4)

 川上すずがグループホームに入居したという報告は、宮田市会議員を喜ばせた。

「そうか!あの頑固者の婆さんをよく説得できたねえ。これで地域のみんなが安心して眠ることができる。山脇さん、あんたは民生委員の鏡だよ」

 褒められても山脇は嬉しくはない。

「いえ、あれは、先生がベッドを確保して下さったグループホームの木下所長の手腕ですよ」

 事実だった。

「記憶の積み重ねができないアルツハイマー型の認知症に説得は無意味です。本人をその気にさせる流れと、納得できる背景を設定できるかどうかが決め手です」

 それがすずの得意な『愛染かつら』のカラオケと、大嫌いな甥の相続話だった。所長は流れを作るためにデイサービスの職員たちと見事に連携した。グループホームのカラオケは、デイからの引き続きで、しかも送迎バスですずを送り届けなければああうまくは運ばない。甥との確執、つまりすずの姉との諍いも、入居の手続きに際して甥から入手した情報をもとに木下所長が描いたストーリーを、山脇は実行したに過ぎなかった。

「しかしその大嫌いな甥が入居の契約をし、身元引受人になったのだから世の中は皮肉なものだね。彼は婆さんの唯一の法定相続人だ。いずれ婆さんの土地を相続する。そのときは私が市価に色を付けて買ってやると言ったら、二つ返事で承知したよ。昔から隣の土地は借金してでも買えというだろ?とりあえずは駐車場にでもしておけばいい。いつか隣に道路が通る」

 …と言うより、通すんだがね、と言って宮田議員は豪快に笑った。山脇は初めてすずが気の毒になった。

 一方、すずがグループホームに入居したことを担当ケアマネジャーから聞いた成年後見センターでは、議論が紛糾していた。

「保佐人に事前に相談もなくすずさんをグループホームへ入居させるなんて、これは福祉関係者による暴挙ですよ」

「聞けば、騙すようにしてデイから直接グループホームに送り届けたというじゃありませんか。まるで拉致ですよ、拉致」

「バックに宮田市議がいるって聞きました。地域の住民がすずさんからの失火を心配していると民生委員は盛んに訴えていましたが、宮田市議の屋敷は川上すずの家に隣接していますよね」

「しかも新築したばかりの燃えやすい純和風の豪邸だしな」

「結局、地域住民とは宮田市議のことだったんだ…」

「しかし、どうする?これから」

「どうするって、こういうときのために保佐人には取消権があるんじゃないか。そんな契約は取消せばいい」

「いや、聞けば、すずさんの名前で甥が勝手に契約したって言うじゃないか。取消権が及ぶのは本人の契約に限られないか?」

「ちょっと待ってよ。無効にすることは可能だと思うけど、後見センターは市からの委託を受けて運営しているんだよね」

 という発言によってセンターは、一瞬で重苦しい空気に包まれた。宮田市議は議長を二期務めた大物議員である。成年後見センターは利用者の権利擁護に偏って市民の福祉を考えていないなどと理屈をつけて、委託見直しの圧力をかけないとも限らない。対立すれば後見業務を行う別法人を設立して委託先をそちらに変更するという可能性だってあるのだ。

 職員は口を閉ざしたまま思考停止に陥った。