身上監護(6)(最終回)

 ほとんど半日グループホームにいて、成年後見センターに戻って来た早崎社会福祉士は、いつになく混乱していた。拉致のようにグループホームに入居させられて、腹を立てているはずの川上すずは、ひどく楽しそうだった。運動能力に全く問題のないすずは、車椅子の利用者や、動作の緩慢な利用者の世話を焼き、職員と一緒に食器を拭いたり洗濯物を干したりして、生き生きと活動していた。

「結局、人は安全な居場所があって、人の役に立てているときが幸せなのですよ。認知症であってもそれは同じです」

 木下という女性所長は、リビングの隅の長椅子で早崎と一緒にすずの様子を眺めながら、しみじみとそう言った。かつては大規模な老人施設で介護士として働いていたが、もっと利用者と距離の近い暮らしを実現したいと決意して、グループホームを立ち上げたという木下は、市会議員に頼まれて認知症高齢者を無理やり入居させるような人物では決してなかった。

「すずさんの場合はうまく行きましたが、破綻寸前まで在宅生活を続けて、結局、周囲の厄介者になり、近隣や身内の敵意に追われるようにして入居した人は大変です」

 人が信頼できなくなっていますからねえ…という木下の話を聞くと、一日でも長い在宅生活の維持こそ権利擁護だと信じて来た早崎の信念は揺らいだ。

「人間は年齢を重ねるにつれて保守的になります。どんなに不自由な生活でも、環境を変えることには不安を感じます。その上、自分の生活を他人に強制されることには強い怒りを感じるものなのです。生活が破綻しないうちに、自然な感情の流れを作って、新しい生活にソフトランディングさせるのが支援者の技術なのです」

 本当は人間には、自立したときから、自分の状況に適した環境を選んで移り住んでいく知恵と、それを可能にする社会の仕組みが必要だと思いますがね…という木下の言葉には説得力があった。人は誰でも衰えて死ぬ。それは生まれたときから決まっている。移動が大変になる頃にはバリアフリー住宅に住み、介護が必要になれば介護付きの住宅に移る。人生はそれを初めから織り込んで設計されるべきなのだ。

「で、どうするんだ?すずさんの入居契約…」

 早崎の報告は後見センターの誰にとっても意外だった。

「追認するしかない思う。いや、契約としては無効なものだから、正式に保佐人が署名捺印したものと差し替えるべきかな」

「民生委員との在宅論争が滑稽なものになってしまったな」

「しかし、結果はともかく、こういうやり方はやはり問題だよ」

「市会議員の圧力というのも気に入らないな」

「この際、意地でも一旦契約を無効にして、改めて正式な手続きをするというのはどうだ?」

「いや、それではいたずらに混乱を招くだけだろう。我々はあくまでも、すずさんの身上監護を中心に考える立場だ」

 結論は決まっていた。すずがホームの生活に満足している以上、それは保障しなければならない。

「ただ…」

「ただ何だ、早崎」

 早崎は言い淀み、本人の意思だからと、あのまま在宅生活を支援し続けていよいよ限界が来たときは、我々が拉致のように入居させる立場になったのかな…とポツリとつぶやいた。

終(最終回)