誤算Ⅶ

 翌日の午前に、石原は約束のものを受け取りに来て、

「大袈裟なようですが、これは私の悪意ではなくて法の執行ですから誤解なさらないで下さいね」

 美佐子の財産の全てを黒いカバンにしまった。

「あの…ウェルフェアに対する損害賠償請求の件は…」

 最も気がかりなことを敦子が訪ねると、そんなに賠償金が欲しいのかとでも言いたそうな顔をして、

「補助人や保佐人の代理権は本人の意思に基づいて部分的ですが、後見人の場合は全面的です。つまり私は、美佐子さんの財産を守る一切の権限を持っています。当然、本人が被った損害の賠償を請求をすることもできますが、裁判費用もかかることですから、勝てる見込みがなければ提訴は困難です」

 と言った。

「先日も申し上げましたが、私は母に虐待をしたウェルフェアの責任を追及するために後見開始の申立てをしたのです。そのことは申立の書類にも書いたはずです」

「申立人の意図はともかく、損害賠償をするかしないかは後見人である私が判断します。虐待の証拠は原告、つまり訴えた側が整えなくてはなりませんが、施設内での認知症高齢者の骨折が職員による虐待や不適切な介護の結果であることを証明するのは至難の業です。何しろ記録も目撃者も全てが被告側にあるのですからね。頼るのは診察をした医師の見解だけですが、医師は明言をしないでしょう。虐待が疑われる患者を診察した場合、医師には市に通報する義務がありますが、それを怠っている訳ですからね」

 それよりも…と石原は言い淀み、

「あなたがご自分の生活のために、これまでお母さまの通帳から引き出された現金だって、お母さまが被った損害と言えなくもないのですよ。こちらの証拠は通帳にはっきりと印字されています」

「返せとおっしゃるのですか!」

 敦子はもう我慢ならなかった。

「後見人は、お母さまに代わって、あなたに返済を求めることのできる立場であることをご理解頂いた上で、一日も早く自活して、これ以上の財産侵害をしないようお願いしているのです」

「帰って下さい!」

 敦子は追い立てるように石原を家から閉め出して、ドアに鍵をかけた。そして石原の車が走り去る音を確かめてから、慌てて梶浦弁護士に電話した。

「先生、樋口敦子です。今からお目に掛れませんか?どうしてもご相談したいことがあるのです」

 敦子のただならぬ様子に梶浦は驚いて、

「あ、樋口さん、どうされました?何かあったのですね。ちょっと待って下さいよ、ええっと、本日なら午後四時であれば時間が取れますが…」

「四時ですね?必ず伺いますので、よろしくお願いします」

「お母さまの後見関係のご相談でしたら、フォローアップ相談として扱えますので費用はかかりませんよ」

 という梶浦の配慮に、

「それは助かります」

 敦子は救われた気持ちになった。