抑揚

 スピーチは情報ではなく、感動を伝えるものだという話は以前にもしましたね。そのための技術も色々と追求して来ましたが、今回は「抑揚」という、言葉よりも「音」の性質そのものについて考えて見ることにいたしましょう。

「先生、私、夕食を済ませてしばらくしてから腹部が痛みます。鈍痛というよりは、どちらかというと激痛です。こうしていても胃を中心として痛みます。治療をお願いしたいのですが…」

 診察室でこう言われたら、あなたが医者だとしたらどうしますか?

「そうですか、激痛ですか。激しく痛むのですね?わかりました。恐らく腹痛でしょう。お薬を飲んで様子を見ましょうね」

 と、こうなるでしょう?ところが、

「いたたたたた…痛いんです、腹が。悪いものは食ってないと思うんですが、いたたた、夕食食べてから胃が痛いんです。錐でもみこむような痛さです。何とか、いたたた、何とかして下さい!先生、何とかしてください」

 と目の前で顔を歪められたら、

「看護婦さん、何やよう解らんけど、とりあえず手術です。手術の準備をしなさい」

 気分はこうなることでしょう。

 言葉は抑揚という旋律を持つことによって、情報ではなくて感情を伝える力を帯びるのです。

「町外れに巨大な岩石がありまして、牛岩と名前がついていました」

 と言うよりは、

「町外れにこう、大きな大きな岩がありましてね、牛のように大きいのでだれ言うともなくみんな牛岩と呼んでいました」

 と言った方が大きい感じが出ます。さらに、

「友だちを町外れにつれて行きますと、な、なんじゃい!これはと、思わず後ずさりしましたよ。大きな岩やなあ!牛かと思ったと驚いていましたが、牛岩と呼ばれています」

 と言えば岩の大きさは手に取るようです。

 大袈裟な抑揚をつけるには会話体が有効です。

 話のうまい近所のおばちゃんは、この辺りをよく心得ていて、

「昨日のバーゲン凄かったでえ。私が感じのいい服をつかんだと思ったら、私の脇の下からぬうっと一本知らない手が出てきて、これ、私が先につかんだんです!私のです!て、大きな声で叫ぶやないの。中年の女って嫌やねえ。品性というものがないやろ?負けたらあかんから、私も言ってやった。嘘ついたらあかんわ!みんな見てたから解ってるわよ。私がつかんで五秒ほどしてからあんたつかんだんやないの!」

 今、目の前で事態が展開しているかのような臨場感がありますからね。

 同じことを伝えるなら迫力があった方が聴衆の心に届きます。抑揚をつけて、できれば会話体を入れて話す。これを今回の課題にいたしましょう。