聴衆参加

 今回で講座も二十回です。切りのいいところでテキストも最後に致しましょう。

 手品のステージで演者が一番前の席の人から借りた一万円札を千円札に変えてしまい、ではお返ししましょうと言って笑わせる場面はよくありますね。会場から数人をステージに上げて不思議な超能力を体験させるマジックも人気があります。どちらも観客を参加させることで自分の世界に巻き込んでしまうテクニックを用いているのです。参加した観客はもちろんですが、見る側に回った人々も、自分たちの代表が参加しているという意味で気持ちは当事者になっているのですね。

 スピーチにこの技術を使わない手はありません。

 と言っても聴衆にステージの上で一緒にスピーチをしていただく訳にはいきませんし、集まった人は講師の話を聞きに来ているのですから、聴衆の発言を必ずしも歓迎いたしません。スピーチの場合の聴衆参加は、せいぜい講師の質問に挙手をするといった形式で行うべきでしょう。手を挙げなくても、

「みなさん、夕べは寒くなかったですか?」

 と聞かれるだけで聴衆は自分の問題として受け止めます。その上、ああ講師も寒かったんだと連帯感まで感じてくれます。

 スピーチの途中で、

「ところで、今月が誕生月の人は手を挙げてくれますか?」

 と聞いたり、

「赤と白の二つの色に関して、赤の方が好きな人は手を挙げてください」

 と聞いたりして聴衆を参加させるだけで、会場の一体感はまるで違います。もちろんスピーチの流れの中で関連のある質問でなければいけませんよ。よくスライドを使った講演で、ところどころにテーマとは全く関係のない花の写真かなんかが挿入してあって、気分転換をねらう手法がありますが、スピーチでそれは使えません。たとえば難しい政治情勢かなんかを話している時に、

「ところでネコとイヌと比べた場合、ネコの好きな人は手を上げてください」

 などと関係ない質問をすれば、スピーチの流れは壊れ、聴衆は戸惑うだけです。

 私は仕事柄、高齢社会についてのスピーチをする機会が多いのですが、

「医学が進んでチューブだらけになってもいのち長らえる時代になりましたが、そこで皆さんに質問します。このまま生きていても苦痛があるだけで回復の見込みはないという状態で、チューブにつながれてベッド上の生活を強いられているとします。たくさんの医療費を使い、大勢の人に迷惑をかけ、家族に大変な経済的負担をかけて生きてゆくくらいなら、苦痛さえ取り除いてくれれば、もうその辺りで人生の幕を引いてもいいとか思うか、それとも与えられたいのちは最後までどんな手段を用いてもまっとうしたいと思うか、二者択一でアンケートです」

 と前振りしておいて、

「延命は望まないという人は、はい、手を挙げてください」

 と質問すると、会場のほとんどは手を上げます。

「そのまま会場を見渡してください。どうですか、こんなに大勢の人が安楽死を望んでいるのですよ」

 この時の会場の一体感は、一方的なスピーチだけで得られるものではありません。聴衆がスピーチのテーマに参加して、当事者として態度を決定することによって実現した一体感なのです。聴衆をうまく当事者にしてしまうテクニック。これを聴衆参加の技法として最後の講座を閉じたいと思います。

 社会人になれば、望まなくても人前で話さなくてはならない機会が与えられます。おどおどと照れながら、誰も心を揺らさない話しをするよりは、気の利いた内容で感動するスピーチができた方がいいでしょう。私なんかとてもとても…と恥ずかしがって遠慮していることが美徳であった時代は終わったのです。

 人間は常に自己表現をしています。おどおどと引っ込んでいれば自分は臆病で自信のない人間であることを表現している訳ですし、講義の途中で私語を行えば、自分は主催者や講師だけでなく、他の受講生に対しても平気で失礼な態度を取る人間であることを表現しています。話す機会が与えられたら、堂々とスピーチをいたしましょう。そのために知っておくと参考になる技術について二十回にわたるシリーズでお話しました。みなさんの努力を期待しています。

 ありがとうございました。