原稿は箇条書き

 スピーチは情報よりも感情を伝えるものだということは前に書きました。

 言葉をうまく操れなくて、好きな女性にプロポーズのできない男がいたとします。そこで彼は感情をこめた求愛の原稿を書いて徹夜で記憶を試みるのですが、とても覚えられるものではありません。

「良子さん、聞いてください」

 とうとう彼はポケットから原稿を取り出して読み始めました。

「ぼくは、あなたが好きです。気がついていてくれましたか?ぼくはもう、美しいあなたを遠くで眺めているのには耐えられません。きちんと気持ちを伝えないと胸が苦しいのです」

 読み終わって、

「どうですか?」

 と彼に聞かれても、良子さんには返答のしようがないでしょう。

 読書会で文学作品を読んだり、葬儀の席で弔辞を読んだりといった場面は別として、生き生きと感情を伝えるのに原稿を読むのは効果的ではありません。では一定の時間に結構なボリウムの内容をいったいどうやって記憶したらいいのでしょうか。

 実は記憶してはいけないのです。

 電車にタバコを吸いながら乗り込んできた男がいました。強面のおにいさんなので乗客たちはみんな黙ってうつむきました。すると、およそ風采の上がらない痩せたお爺さんが立ち上がって言いました。

「車内は禁煙ですよ」

 その凛とした態度と、周囲の刺すような視線を前に、男は苦々しそうにタバコを床に落として踏みにじりました。

 もしもこんなシーンにあなたが行き会ったとしたらどうでしょう。誰かに話したくなりませんか?原稿を書きますか?もちろん書きませんよね。恐らく喫茶店に呼び出した友人に、言葉を継ぎ足し継ぎ足しして、車内で見た事実を懸命に伝え、

「ね?勇気のあるおじいちゃんでしょう?人は見かけによらないのよ。それから私、自分の臆病さも改めて思い知ったわ」

 と結ぶでしょう。

 これが素敵なスピーチなのです。

 会場に何人の聴衆がいようと、全体が喫茶店で向かい合った一人の友人です。聴衆というたった一人の友人に向かって、伝えたいことを自分の言葉で伝えればいいのです。原稿を作るとすれば、エピソードを引き出すためのキーワードを、話す順序で箇条書きに並べる程度でいいでしょう。『電車のタバコ』というキーワードで先程の出来事を話し、さらに別のキーワードで想起するいくつかの挿話をつなぎます。それらは勇気という共通のテーマで貫かれていなければなりません。

 最後に、聞く者の心に余韻を残す味わい深い結論でしめくくればユニークなスピーチになること請け合いです。

『原稿は箇条書き』。これをスピーチ講座の3つ目のコツに致しましょう。