幹と枝葉

「本日は人間の発達についてお話ししていますが、人間ってのは、あらゆる生き物の中で最も無力な状態で生まれてきますね。私なんか今でも母親からメールが入りますよ。春先は、花粉症の薬を服んだら眠くなるから運転には気をつけよとか、冬になると、そろそろスタッドレスを履けとかね。まだ一人前ではないんです。五十二歳ですよ。しかし、なかなか一人前にならないということには意味があるんですね。人間は遺伝では伝えられない社会的な能力や価値観を学習しながら発達する存在なのです。無力だから手がかかる。手をかけるときに言葉を初めとして遺伝では伝えられない色々なことが伝わるのです。もしもですよ、もしも人間が生まれてすぐに自分でトイレに行き、自分で食事をとり、自分で風呂に入るとしたら、母親は子供を放っておきますよ。放っておいて働いたりテレビ見たり…。中には子供が泣くと手をかけるんじゃなくて冬のベランダに締め出したり、殺して冷蔵庫に入れる親も出てきましたがね。壊れ始めてるんですよね、親機能が」

 というスピーチがあったとします。

 もうお気づきでしょう?傍線をつけた部分は、本筋とは直接関係のない挿話なのです。それがスピーチに奥行きを与えています。臨場感、あるいは手触りと言ってもいいかも知れません。

 聴く人は本筋だけの真面目なスピーチが延々と続くと二つの反応を示します。聴いて理解するという緊張に疲れてしまうか、単調な言葉の連続に飽きてしまうかのどちらかです。ニンニクの匂いに、すぐに麻痺してしまう嗅覚同様、聴覚は長期の刺激に対しては耐性がありません。子供たちが道草を食うように、スピーチも一目散に目的に向かわないで、あっちに寄り道、こっちに寄り道しながら、目的地にたどりついた時には、あ~楽しかったという満足が感じられる構造にしたいものです。

 スピーチの長さに応じて適当な枝葉を作ること。どんなに話が枝葉に移ろうと、必ず幹に戻って来ること。そのためには前回紹介した箇条書きのキーワードを用いて、周到に計画した幹と枝葉の原稿を準備することが大切です。

 幹と枝葉…。これを今回のポイントに致しましょう。