心地よい変化

 何か面白いことない?という台詞が流行ったことがありました。

 どうやら人間は平穏に暮らしたい一方で、退屈には耐えられないもののようです。だから映画があり、歌があり、芝居があるのです。それらはたいてい過酷な運命や困難に翻弄される苦難に満ちた人生が繰り返し描かれています。私たちはみんな、自分の生活には波風を立てない代わりに、テレビの中で裏切りや殺人を経験しては、退屈を免れているのです。考えてみれば、わざわざルールを設けて敵味方に別れ、野球やサッカーに夢中になるのも、人間が必死に工夫して退屈から逃避しようとする姿ではないでしょうか。

 スピーチも同じです。

 退屈な内容が延々と続くのは、相当我慢強い人でも耐えられません。誤解のないようにお断わりしておかなければなりませんが、この場合の退屈というのは単調ということであって、くだらないという意味ではありません。どんなに素晴らしい内容のスピーチであっても単調であっては聞く者は退屈を感じるのです。

 スピーチはオーケストラに似ています。

 ある時は静かに、ある時は激しく、変化に富んでいればいるほど聞く者の胸を打ちます。内容だけではありません。抑揚も、表情も、しぐさも、話の「間」も、立ち位置も、変化させられるものは何でも変化させなくてはならないのです。講師が笑えば、聴衆の緊張もほぐれます。講師が厳しい表情で沈黙すれば、聴衆は何事かと固唾をのみます。舞台の袖まで移動したり、途中で上着を脱いだり、わざと話を間違えたり、客席に向かって質問したり…長いスピーチになればなるほど、あの手この手で変化をつけて、聴衆の関心がはぐれるのを防止しなければなりません。

 私は導入の挨拶を早目に切り上げて、本題に入る時には演台の前に出ることにしています。我々は対象の大きさを頭の中で換算して、自分との間の距離として感じています。ステージの上で聴衆に二、三歩近づくだけで、客席からの距離感は思った以上に縮むものです。

 (お!講師が近づいたぞ)

 聴衆はそれを講師の熱意と感じるはずです。そのためにマイクは移動の可能なハンドマイクを用意していただいています。

 講師がステージでする何気ないしぐさや行動は、計算し尽くされた演出なのです。

 心地よい変化はスピーチを魅力的にするスパイスと考えていいでしょう。