ネタの調理
板前が良い料理を作ろうとすれば、まず朝早く起きて、市場で良い食材を手に入れなければなりませんが、スピーチも同じです。聴衆の胸を打つスピーチは、味わい深いエピソードで構成されなくてはなりません。どんなに話術が優れていても内容そのものがつまらなくては、よく手入れした包丁で腐った魚を調理するのと同じす。でき上がった料理が美味である訳がありません。つまり、良いスピーチをしようとすれば、日常の中に素敵な話題を見つけ出す繊細な感性が必要です。小さな出来事も見逃さない細心の注意力が必要なのです。ところが日常は、不特定多数の聴衆に披露したくなるような味わい深い出来事が、そうそう都合よくころがっているものではありません。そこで調理にちょっとした工夫が必要になるのです。
彼岸花が咲いていました。それを、
「明日は秋分の日です。田んぼのあぜに真っ赤な彼岸花が咲いていました。それにしても彼岸花という花は、毎年同じ時期に突然咲いて季節の変化を知らせてくれる実に不思議な花ですね」
と言ってしまったのでは、折角の素材がありきたりになってしまいます。
こんなふうに調理してみたらどうでしょう。
「高校時代の友人に律儀な男がいます。卒業以来一度も会わないのに、もう三十年以上、毎年手書きの年賀状が届くのです。決してうまいとは言えない文字が勢いよく躍るあいつの年賀状を見る度に、気持ちはパアッと高校時代に戻って、遠い故郷の景色が浮かびます。年に一度だけの葉書のやり取りですが、いいものだなあ…と思う年齢になりました。そう言えば今日、田んぼに彼岸花が咲いていました。毎年、秋の彼岸を忘れずに、同じ場所に思い出したように咲くあの赤い花も、律儀な花だと思います。彼岸花はカレンダーよりも強烈に、おい、面倒でも爺ちゃんと婆ちゃんの墓参りに行けよ…と、私に教えてくれるのです」
味わい深いエピソードになったでしょ?
もう一つ例を上げましょう。
「道端でネコが寝ていました。起こさないようにそっと通り過ぎようとすると、玄関先につないであった犬が突然私に向かって激しく吠えました。私は驚いて飛びのきましたが、ネコは同じ場所で寝ていました。きっと慣れているのでしょうね、いやあ、たいしたものです」
というエピソードを次のように調理してみたらどうでしょう。
「私、今年も夏休みを取り残してしまいました。団塊の世代っていうんですか?貧しい時代を働き蜂のように生きて来たものですから、なかなか休むということができません。たまに休みをもらっても、何か生産的なことをしていないと落ち着かないのです。のんびりしようと温泉に行っても、のんびりしよう、のんびりしようと張り切って、疲れてしまうのです。先日も炎天下、出張先の町を汗をかきかき歩いていますと、軒下にネコが長々と寝ていました。いいですねえ…ネコは。見ている側ものんびりします。あいつらきっと、のんびりするために生まれて来てるんですよね。私、ネコを起こさないようにそっと足音を忍ばせて通り抜けようとしたんです。そうしたらですね、びっくりしましたよ。わう!わう!わう!って、大きな犬が飛びかかって来たんですよ。つないでありましたから大丈夫なんですが、飛びのきました、2メートルぐらい。私もまだまだ敏捷です。ところがですね、ふっと見ると寝てるんですよ、ネコが。たいしたもんです。大物です。しかし考えて見たら犬もたいしたものですよ。つながれていても番犬として立派に働いているんですからね。私、持って生まれた性分というものはどうしょうもないもんだと思いましたね。犬かネコかと言えば、私はどうやら犬なんです。職場につながれて働きとおす性分なんです。そう思ったら何だか楽になりましてね。汗を拭き吹き出張先に向かいました」
まあまあのスピーチになったでしょ?
ネタを探す努力を惜しまないこと。探したネタは上手に調理すること。今回はこの二つを学習いたしましょう。
終