:::::年収300ポンドで優雅に暮らす法:::::

 ロンドンに行った時、時間の許すかぎり書店を回って、今の自分に見つけられる限りの本を買ってきました。かなり昔の雑誌なども、状態に目をつぶればそこそこ見つかるのにびっくりです。古いものを大事にするお国柄ですから、家の本棚の奥にずっと眠ってたんだろうなぁと思います。
 古いのも新しいのもいろいろ買ってはきたのですが、結局一番気にいっているのはこんな本です。


APPEARANCES


 いかにもおみやげ仕様の、小さなかわいい変型版のペーパーバック。ミュージアムショップで買いました。1899年に発行された本の復刻版と書いてあります。タイトルを日本語にすれば「少ない収入で見栄えよく暮らす法」といったところでしょうか。
 テーマは、年収300ポンドで優雅に暮らすためのアイデア集。やりくり法をまとめた家事指南本です。使用人の選び方や、経験のない若いメイドの訓練のしかたに比較的多くのページがさかれているので、おそらく、結婚したばかりの新妻にむけて書かれたものなのでしょう。
 コックの訓練法――新しいコックが来たら、スープやJoint(骨付き肉)の脂を漉して揚げ油にするやりかたを知っているかどうか尋ね、知らなかったら教えます。
 パーラーメイドの服――特別な機会以外は、紙のカフスでやりくりしなさい。なぜならお手ごろな値段で6組は買えるし、高くつくリネンのものと同じように素敵に見えますから。
 ストーブを磨くには――いわゆる「ストーブ用ポリッシュ」を買ってはいけません。名前はそれらしいけれど、ベースはただの黒鉛です。名前に対して高いお金を払うだけなのです。一番安い黒鉛を選び、蜜鑞とテレピン油のミックスを買ってきて、これらを上手に調合できれば、既製品のポリッシュより安あがりです。
 体面にもこだわるわりに、ヴィクトリア朝といえばおなじみの「respectable」という言葉はほとんど出て来ません。かわりに繰り返されるのは「dainty」です。英語の専門家ではないので読んだ時の印象ではありますが、辞書を引いた限りでは、前者は「ちゃんとした、見苦しくない」といったような、地位や階級を踏まえた言葉で、後者は「優美で、繊細で、趣味がよい」。食べ物なら「おいしい」というイメージのようです。

 『ウェディングドレスはなぜ白いのか』という本には、どんなウェディングドレスを選んだらよいかという中流の女の子の質問に対して、雑誌の編集者が答えた例をいくつか引いています。
 19世紀中盤までは、派手なドレスを着たがる子に対し、華美をいましめ、収入――というよりむしろ、地位や階級に合った実用的なドレスを選ぶように返事を返しています。階級の分際を守ること、質実剛健を美徳とする風潮が存在しました。しかし、数十年後には、同じような女性雑誌の似たような質問コーナーで、以前は上流にしか許されなかった「レースのベールと白いドレス」がすすめられています。

 結婚式という勝負イベントを前にした女の子たちのドレスの選び方と、頻出する「dainty」という言葉。これらを考えあわせると、消費社会を迎えてほどほどに豊かな人が増え、女性たちは「恥ずかしくない、分不相応でない」という受動的な体面の保ち方から、財布の許す限り「趣味のよさをアピールする」という能動的な手法に向かっていたのかなぁ、と思えてきます。

 そうはいってもやっぱり現実はシビアです。たとえ贅沢が許される世の中になってもお金がなければ追い付きません。
 節約のススメである「APPEARANCES」がすすめるドレス選びは非常に実用本位です。
 薄い色のドレスや白いシャツは駄目――小さな白い水玉模様か、または模様なしのダークカラーか、ブッチャー織(粗い格子が出る織り方)の青をいつも選ぶようにしなさい。または、華やかな赤がおすすめです。これらの色なら、そうしょっちゅう洗濯する必要がありません。
 赤や青(しかもピンドット!)も可愛いと思いますが、ウェディングドレスならまだしも日常的に「汚れる白」を着ることは、収入がないと物理的に不可能なステータスシンボルだったようです。紙で代用したり、手作りしたり、いろいろ苦心しながら、家や自分をおしゃれに整えようとしている若奥様の姿が目に浮かびますね。




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