根本寺 Konponji Temple 佐渡市
文永3年(1266)、鎌倉辰口の法難を逃れて佐渡に流された日蓮上人は、死人の捨て場の一角に建てられた1間四方のあばら家であった塚原の三昧堂に入られたが、ここはその跡地である。 日蓮宗佐渡総本山の一つとして知られ、日蓮はここで生命が危ういほどの、島の念仏宗徒の迫害を受けた。が、念仏宗徒と法門をたたかわせ(塚原問答)で勝ち、自己の教義の研鑽に努め、熱心に折伏を続けた。日蓮宗の根本経典とされる『開目抄』は、三昧堂時代に書かれたのだという。(☛ 日蓮) この旧跡に建立された正教寺が開基で、正教寺廃絶後、天正15年(1587)、京都妙覚寺の僧日典により現寺院が再興され、。慶長12年(1607)に、相川夕白町に住む銀山の山師備前遊白が祖師堂を造立し、元和元年(1615)寺名が根本寺と改められた。元和~寛永年間(1615~44)には、相川鉱山の大山師味方但馬の莫大な寄進を受けて諸堂が造営され、寺観が整えられた。元和7年(1621)味方但馬の銘の残る銅鐘が吊り下げられてある。(☛ 味方但馬) 境域は約5万㎡、大樹が鬱蒼と茂り合い、境内の太鼓堂は名物の一つになっている。 |