林泉寺 Rinsenji Temple 上越市




@じゃらん
林泉寺は、今から約500年前の明応5年(1496)、越後国高田(現・上越市)に建立された曹洞宗の寺です。
春日山城の搦め手門を移築したと言われている惣門※ストリートビューを入ると、楼門・鐘楼・本堂がならぶ。本堂の右に宝物館、左に墓地、裏に室町時代の様式を伝える庭園がある。
長尾景虎(上杉謙信)の祖父長尾能景が、亡父重景の菩提を弔うため建立したもので、寺名は重景の法名林泉寺院殿からとったものです。曇英恵応を招いて開山とした。
景虎は天文5年(1536)7歳の折から天文12年14歳まで、当寺に預けられ天室光育(七世)禅師の指導を受け仏道に励みました。さらに、景虎は長じて八世益翁宗謙の下に参禅し、禅の「達磨不識(だるまふしき)」の境地を悟り、不識庵謙信(ふしきあんけんしん)を号するようになりました。
また、景虎は永禄四年(1561・川中島合戦のあつた)に関東管領上杉家を相続、林泉寺は上杉家の菩提寺にもなりました。山号の春日山は、上杉家(藤原氏)の氏神である春日明神を勧請したことによります。

その後、謙信を継いだ上杉景勝は、慶長3年(1598)に越後から会津120万石に移封となり、同6年には米沢30万石に削封、菩提寺の林泉寺もこれに伴って米沢に移った。
上杉氏移封後は春日山城下に残された林泉寺は一時衰退するが上杉景勝に代わって春日山城主となった堀秀治によって寺領200石の寄進しを受け再建した。また堀氏改易後高田城に入封した松平氏や榊原氏によって尊崇を受けた。堀家は堀秀重、堀秀政、堀秀治3代の位牌と墓がある。
江戸時代の林泉寺は江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠から御朱印で寺領224石を授けられ、高田藩主から禁制の特権を与えられていた。

宝物館には上杉謙信書簡、謙信筆「春日山」「第一義」の額、上杉謙信画像、瀧川毘堂作上杉謙信木造など、上杉家関係の遺品が展示されている。
墓地には、上杉謙信供養塔※ストリートビュー、川中島戦死者供養塔※ストリートビュー、堀家三代秀重・秀政・秀治の墓、高田城主松平光長の室土佐と嫡子綱賢の墓、高田藩十五万石の藩主榊原政永の父政岑の墓などがある。




≪現地案内看板≫
林泉寺

明応六(一四九七)年、上杉謙信公の祖父越後守護代長尾能景公が、父重景公の十七回忌にあたり、越後鎮護の古寺址を浄め、長尾氏の菩提所として建立された曹洞宗の名刹。
開山は名僧曇英恵応禅師。以来その法嗣が代々相続して行き、謙信公は六代天室光育、七代益翁宗謙に学んで、帰依あつく、隆盛を極めました。
春日山は越府の要害として長尾氏が居館を構えて守り、山下のこの林泉寺は、府内守護上杉氏の菩提所至徳寺(臨済宗)と並んで、共に栄えたが、林泉寺は法灯絶えることなく、今にその歴史を語りかけています。





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