弥彦神社 Yahiko Shrine 弥彦村
越後平野西部の弥彦山(標高634m)山の東麓に鎮座し、弥彦駅の北東約1kmにある。弥彦山を神体山として祀る神社であり、弥彦山頂に御神廟(奥の宮(※地図 ※ストリートビュー))がある。 開基の年代は明らかではないが、貞観3年(861)の社伝や、延喜式(927年成立)にも、越後国式内54社中唯一の明神大社として名を残す。また『万葉集』にも歌われ、越後一の宮として、古来崇敬を集めている。明治4年(1871)に成立した、近代社格制度において戦前まで国幣中社に列した。 祭神の天香山命(古くから、伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)とも云われる)は、天照大御神の孫で、越の国に製塩・製鉄・農耕・漁労などの技術をもたらし、越後国開拓の祖神として信仰されたほか、神武東征にも功績のあった神として武人からも崇敬された。 天香山命が上陸した地と言われる野積浜に『彌彦神社上陸地碑』(※地図 ※ストリートビュー)がある。 鎌倉時代の初期、源頼朝の社領寄進、建武2年(1335)、後醍醐天皇の勅願の奉納が伝えられる。戦国時代には、上杉謙信の尊崇が厚く、戦勝祈願の願文を献納し、江戸時代に入ってからも、徳川幕府が朱印地5000石を寄せるなどして保護の手を加えた。また高田藩藩主松平忠輝は、500石の社領を寄進した。 弥彦神社には。天香山命の子孫を祀った摂社と、弥彦神社にゆかりある神様を祀った末社を合わせ8つの摂社末社がある。 神域は約13万㎡。朱塗りの一の鳥居をくぐり、鬱蒼とした杉木立の間の、踏み石の参道を進んで石段を登った奥に社殿と、境内末社の十柱神社・二十二所神社・八所神社などが立つ。十柱社神社(※地図 ※ストリートビュー)社殿は国指定の重要文化財で、元禄7年(1694)、長岡藩主牧野忠辰が造立、寄進したものである。社殿は、明治45年(1912)の弥彦大火で焼けた後、大正5年(1916)に再建された。旧本殿跡(※地図 ※ストリートビュー)が、宝仏殿前にある。 神社境内には鹿苑(※地図 ※ストリートビュー)や、伝来の社宝類収蔵、展示する宝物殿(※地図 ※ストリートビュー)。蜀鶏などを飼育する特殊日本鶏園がある 宝物殿には日本有数の大太刀(長大な日本刀)である「志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)」や、源義家や源義経、上杉謙信などに所縁と伝えられる武具などが社宝として展示されている。 弥彦と吉田を結ぶ県道29号線上に、高さ30mの大鳥居(※地図 ※ストリートビュー)が昭和57年(1982)上越新幹線開通を記念して建てられた。額の大きさは畳12畳分あるという。 年中行事では元旦の初詣と7月25日の神輿渡御祭・燈篭祭りが有名。 宮中同様に行われる鎮魂祭は、4月1日と11月1日の年2回行われる。二年参りや初詣、秋の菊まつりは特に賑わう。 弥彦山は山全体が弥彦神社の神域となっており、弥彦神社本殿脇から、弥彦山ロープウェイ駅への送迎バスが出ている。 ■弥彦神社2年参りの惨事(1956・昭和31) 県内最高の二年参りの人手でにぎわう弥彦神社随神門前の石段。恒例の福餅撒きが始まった直後のことだった。身動きできないほどの雑踏の中で、群集が将棋倒しになって折り重なり124人が圧死、94人が重軽傷を負う大惨事になった。 弥彦神社宝物殿 ※動画昭和43年(1968)11月の開館で、建物は鉄筋コンクリート造り、2階建て。弥彦神社伝来の宝物類のほとんどがここに納められている。収蔵点数は、刀剣・書画・陶磁器・工芸品・神鏡あわせて945点に及んでいる。🔶主な収蔵品☯大太刀(志田大太刀)(国指定重要文化財)全長220.4cmで、応永22年(1415)、古志郡夏戸(旧寺泊町)に居を構えた武将志駄(志田)三郎定重が、備前国長船住の右衛門丞家盛に鍛えさせ奉納したもの。 ☯鉄製仏餉鉢(国指定重要文化財) 高さ37.6cm・口径64.9cm鉄製の大鉢で、嘉暦元年(1326)奥山庄中条の豪族・相次郎孝基が奉納したもの。 ☯砧青磁袴腰香炉(新潟県指定文化財) 鎌倉の建長寺開山蘭渓道隆が宋より渡来した折に持参して鎌倉将軍に献じられ、後には徳川家康が所有し、さらに家康から拝領した越後高田藩主松平忠輝が奉納したものと伝えられている。 ☯上杉輝虎祈願文(新潟県指定文化財) 上杉輝虎(謙信)が永禄7年(1564)に武田信玄との戦いの前に祈って奉納した願文。 北関東・越中への出兵や武田氏・北條氏との戦いは、全て正義に基づく大義名分の立つものであり、私欲非道を為さぬ旨を固く誓って神助を祈る内容。
鹿苑弥彦神社の神鹿は、大正2年に春日大社より雄雌一組を譲り受けたのが始まりとされている。弥彦神社の鹿については、古来万葉集にも詠まれている。 「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」(作者不詳) 万葉の道 ※動画万葉集に詠まれている草木のうち、弥彦山に自生する78種を選び、拝殿脇から弥彦山ロープウェイ山麓駅への沿道に万葉歌を添えて植栽して、昭和57年(1982)に完成した。森閑とした奥深い杉木立。シジュウカラ、ヤマガラ、イカル、クロツグミなどの声が響く。野鳥の森弥彦登山道を50m位入ったところに野鳥の森観察路がある。観察路は1800m続き、途中観察小屋や解説板があり、多種類の野鳥の鳴き声を聞くことが出来る。コースの一巡に約1時間。夏鳥の親がそろう新緑の5月中旬から下旬にかけて、ツツドリ、ホトトギス、サンコウチョウ、オオルリ、キビタキなどに出合える。 弥彦神社の舞楽 ※動画国指定の重要無形文化財。太々神楽・小神楽・神歌楽・天犬舞の4種類の総称。古式豊かな太々神楽は、国上寺(旧分水町)舞楽の流れをくむものと言われ、演目は地久楽・弓舞・神面・二の舞・大納曽利・小納曽利・大平楽など7曲の稚児舞と6曲の大人舞より構成され伝承されている。4月18日の妻戸大神例祭に、主として稚児によって舞われる。新潟県に古くから伝わる舞楽のなかでも代表的なひとつにあげられ、昭和53年(1978)5月22日に重要無形民俗文化財に指定された。 小神楽は2月1日~4日の神幸祭奉納される巫女舞で、神歌楽と天大舞は、7月25日の灯籠祭りに行われる。神歌楽は旧社家の嫡男、天大舞は旧神領の農家の嫡男で、いずれも9歳前後の子供が舞うしきたりになっている。
弥彦の婆々スギ弥彦の蛸ケヤキ彌彦神社門前町の中央付近に鎮座する、小さな祠がある境外末社住吉神社の御神木仰がれる老ケヤキは、樹齢およそ1000年年以上、樹高30m、胴回り8mの巨木で、八方大枝をのばして立つその姿は、大だこが足を広げた姿によく似ているところから、昔から俗にたこけやきと呼ばれ新潟県指定天然記念物(1952年12月10日指定)である。
彌彦神社桜苑昭和30年(1955)から桜苑を開設し、現在では約70種、150本の桜が植栽されている。12月と4月、1年に2度咲く「子福桜」などの珍しい桜や、早咲きは3月から、遅咲きのヤエザクラは5月ごろまでと、長い期間にわたって花が楽しめる。
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Yahiko ShrineYahiko Shrine has long been worshipped as Echigo Ichinomiya Shrine.The shrine is popularly known as "Oyahiko-sama" and attracts more than 200,000 worshippers for Hatsumode (New Year's visit) every year.The deity is Amenokagoyama no Mikoto,great-grandson of Amaterasu no Mikami.The shrine is said to have a history of more than 2,400 years since its founding and is mentioned in Japan's oldest anthology of poetry,Manyoshu. ・長鳴鶏鳴き合わせ会 まで 日
・菊まつり まで 日 |
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