音・波動・空気・光

平成15年01月03日

 不得意な分野の、とりとめもない疑問を書きます。「音」のことです。私たちが普通に聞いている音は、空気の振動であることは子供でも知っていますが、耳を澄ませて見てください。テレビの音、換気扇の音、キーボードを叩く音、おっと、うっかりボールペンを落とすと、床とペンの一瞬の衝突音が鮮やかに聞こえて来ます。我々は何の音かをきちんと区別して聞いていますが、無心な空気はただただ複数の音源からの振動を、同時に無音の波として四方に伝達しているに過ぎません。波は鼓膜を媒介にして聴覚の神経細胞を刺激し、我々の脳で音源別の「音」として再現されるのです。鼓膜に達するまでは、音は沈黙の空気の波でしかありません。いえ、再現と書きましたが、考えてみれば、音が音として誕生するのは、音源においてではなく、我々の脳においてなのです。しかも音と認識したとたんに我々は、音源の種類だけでなく、その方向から距離までをほぼ正確に特定しています。どうですか?それほどに複雑でデリケートな情報を伝える精妙な能力を、我々の周囲を満たして揺れ動く不安定な空気が持っているなんて信じられますか?

 さらに不思議なのは光です。光源から発せられた光は、何も媒介するもののない真空空間を突き抜けて進みます。と言うことは、光は音のように何かを媒介とした波ではなくて、粒子ということになりますが、光の粒を捕獲したという話を聞きません。鼓膜を刺激するのは空気の振動ですが、網膜を刺激して我々に光を感じさせるのは波なのでしょうか、物質なのでしょうか。あらゆる色を内包して無色に成りすまし、照らした物質の性質に応じて無数の色彩となって反射するこの光というものの存在は、考えれば考えるほど疑問が増すばかりです。

 音、波動、空気、光…。あまりにも日常的で生活に密着しているがゆえに、その存在を疑ってもみないこれらの事象にひとたび疑問を抱けば、それらに依存しなければ瞬時の生存すら許されない私たちの存在そのものの神秘性にも向き合うことになるのです。そして、答えが次々と新しい謎を生む科学の手法ではなく、自分という存在が神秘そのものであることを認識する手法の方が真実に近いのかも知れません。