花粉症は人災?

平成15年02月15日

 アレルギー性鼻炎の私にとって、またしてもつらい季節がやって来ました。杉の花粉に反応して、目はかゆく、鼻はつまり、くしゃみと咳で映画館にも行かれません。ティッシュの消費量が増え、遠くから見るとゴミ箱はビールのジョッキのように白いティッシュが盛り上がっています。眠れない夜が続くため慢性的に体調はすぐれず、首から上をちぎってしまいたいような鬱陶しい日々が五月の連休明けまで続くのかと思うと、窓から望む山並みを見つめて溜め息をつくしかありません…が、山並みを見つめながら、突然ある種の衝撃に襲われたのです。

 こうして改めて眺めると、遠く近く連なる山並みは全て、杉、ヒノキで覆い尽くされています。こんな不自然なことがあるでしょうか?この国の大地を黄色に染めてしまう勢いで増え続けたあのセイタカアワダチソウでさえ、一定の繁殖を果たして、これ以上増えては周囲の植物の多様性が崩れると感じると、自らの増殖を制限する成分を根から分泌して自然界のバランスを保つと聞いたことがあります。考えてみると、セイタカアワダチソウに限らず、人間も動物も昆虫も植物も、多様性こそが生命の実相ではありませんか。なのにこの国の山は、見渡す限り、杉、ヒノキで埋め尽くされているのです。

 江戸の昔もこうだったのでしょうか。平安や鎌倉の山はどうだったのでしょうか。ひょっとしたら多様な樹木が生い茂り、秋になると人々は燃えるような紅葉を楽しんでいたのではないでしょうか。そう言えば緑の羽根の運動がありました。我々の浄財を募り、国を挙げて杉、ヒノキを植林した結果、山の動物は木の実という食料を失いました。杉やヒノキは広葉樹に比べて根の張りが小さいため、山は保水力を失いました。この国の遠景は、どこへ行っても新幹線の駅のように均一で単調なものになりました。やがて外材に押されて杉、ヒノキの価値が下がり、黄砂のように国家規模で飛散する花粉に対するアレルギーで、国民が、これまた国家的規模で鼻水を垂らしているのだとしたら、花粉症は人災ではありませんか。大きな権力で多様性を否定する営みが国家規模で計画されたら、我々は警戒をすべきではないかと、鼻水を垂らしながら思うのです。