信仰の自由

平成15年04月14日

 信仰の自由が人間存在の根本にかかわる大切な権利であることは、憲法に保障されているとおりです。武装集団や殺人集団と化した危険な新興宗教もありましたが、私たちは法を犯さない限り、どんな宗教を信仰しようと社会から不利益を受けることはありません。逆に言えば、私たちは信仰について、それを持たないことも含めて、誰からも指図を受けない自由な立場を認められているのです。ところが、都市部の実態は別にしても、地方では昔から神社と住民との関係において深刻な問題が存在しています。祭りを土日に行う地域が多くなりましたが、平日に設定されていた日程を、サラリーマンの事情に配慮して土日に変更しようとすれば、神事には宗教上の意味があって簡単には変更できないという問題に必ずぶつかります。ということは、祭りは「神事」、つまり、紛れもない宗教行事なのです。信仰の自由を保障されている私たちは、いかなる宗教行事にも参加する義務を負いません。しかし祭りと称する宗教行事を挙行するための様々な役割は、宗教とは本来関係のない、地域の自治会の集会で、ほとんど強制的に住民に割り当てられているのです。例えば中学校区に一つずつ小規模な福祉施設があって、住民がボランティアで運営に参加するとしたら、理想的な地域社会が実現するのでしょうが、現実にはそんな計画が自治会の議題になることはなく、それよりも数の上で断然多い大小の神社が、何の義務も負わない住民たちによって周到に維持管理されている現実は、考えてみれば不思議なことです。