男と女・区別と差別

平成15年05月19日

 ある団体から講演依頼があって、新築間もない市役所の会議室へでかけた時のことです。九十分のステージの前に用を足しておこうと、トイレを探すのですが見つかりません。建ったばかりの近代的な庁舎で勤務する職員は、受付嬢に至るまでトレンディドラマのように颯爽とした身のこなしで、トイレの場所を尋ねるのは何だか場違いな雰囲気です。そこで、三十分ほど時間があるのを幸いに、先端建築物探訪を決め込んだ私は、まず透明なエレベーターに驚きました。半円形の広々とした玄関ホールの正面を職員や市民を乗せた箱がゆっくりと上下しています。しかし、箱がどこかの階に止まるやいなや、エレベーターは向こう側の景色を透かして存在を隠します。

「あれまあ、こんなところにあるがね」

 透明だでわかれせなんだわ…と大声で言い交わして乗り込む二人の高齢者は、青や赤やグレーの見慣れたドアを探していたのでしょう。

 私はと言えば、ようやく発見したトイレの標識を見上げて愕然としました。洋式便座に今にも腰を下ろそうとする人の露骨な姿が灰色のシルエットで示されています。それとは別に性別は、『男・おとこ・MAN』『女・おんな・LADY』と三段書きにしたプレートで表示してありました。いよいよ男女共同参画社会基本法の効果がこんな形で現れ始めたのです。赤と青の人形(ひとがた)で男女の区別とトイレの存在を一度に教えてくれていた従来の標識は、自治体の男女共同参画プランの中で不適切な表現の典型とされています。男は青の背広、女は赤のスカートというシルエットが、男女のイメージを固定化するという理由です。しかし、遠方からもひと目で識別できた従来の標識は便利でした。日本語も英語も解らない国からのビジターにだって簡単に判別ができました。それにしても、男女が対等な関係で社会に参画する世の中を目指す運動が、こんな形で姿を現わすのは意外でした。従来の標識で構わないではないかと密かに憤慨する私は、既に固定的なジェンダーの信奉者か、あるいはその改善に無理解な側の人間ということになるのでしょうか。市役所の職員は、男は紺のブレザーを、女はグレーのスカートを身につけていました。おおやけが、トイレの表示にまで気を配って男女の固定的なイメージの変革を推進するつもりであれば、男性職員が真っ赤なブレザーを着て出勤するのを歓迎しなければなりません。肉体と心の性が同一ではない男性を職員に採用したら、彼が女性のいでたちをするのを応援しなければなりません。男が女言葉を使い、女が男言葉を使うのも、固定的なジェンダーを破壊する行為としてむしろ奨励すべきです。事務室を眺めれば、部下の側に向いて仕事をしている職員の大半が男でした。受付の職員は二人とも女でした。どうやら男女の役割分担は、トイレの標識を変えた程度では容易に改まらないもののようです。

 区別か差別か…。

「いやあ、あの標識ですか。実は私も不便だと思いますよ。しかしまあ、つとめて男女を区別しないという方針が国から出ると、反対意見は言えませんからね。分かるでしょう?」

 この国は、男女の対等な関係以前に、全体の空気に負けないで、一人一人がしっかりと自分の意見を述べるところから変革しなければならないのではないでしょうか。