サッカーと人生

平成15年05月19日

 ワールドカップで日本チームがトルコチームに敗れた時の懐かしいニュースを見て、この原稿を書いています。

 悔しかったですね。

 前半の早い時間に、コーナーキックから見事なヘディングでねじ込まれた一点をどうしても取り返せないまま、試合はトルコの勝利に終わりました。降りしきる雨に青いユニフォームを濡らしながら、誰もいなくなったコートをじっと見つめる若いサポーターの横顔が、日本中の悲しみを代表していました。

 それにしてもスポーツは何と人生に似ていることでしょう。

 大切なのは、結果よりもプロセスです。

 一対ゼロで日本がトルコに敗れたことを翌朝の新聞で見れば、試合の結末は知ることができますが、それではサッカーを見たことにはなりません。もちろん選手は結果を出すために懸命にプレーをするのですが、感動的なのはプロセスなのです。

 人生も同じです。

 誕生というキックオフから死というゴールまでの与えられた試合時間に、どんな内容のドラマを展開したかが大切なのです。いえ、展開されたドラマも実は大したことではありません。そんなものはすぐに忘れ去られてしまいます。無名の中田選手が世界の中田に成長してゆく過程を思い描いて見てください。彼の出場したおびただしい数の試合内容の全てを、恐らくは彼自身が覚えてはいないでしょう。勝ったけれど内容の悪い試合もあれば、負けはしたものの最高のプレーができた試合もあったでしょう。相手の理不尽な反則に腹を立てたこともあれば、審判の不合理な判定に泣いた日もあったでしょう。怪我、スランプ、メンバーとの不和、監督との確執…。数々の挫折と栄光を経験しながら中田が得たものは、プレーヤーとしての成長であると同時に人間としての成長だったのでははないでしょうか。

 私たちも人生という長い長いゲームのプレーヤーです。得点板には相手のスコアーを記録するスペースはありません。勝って学べば一点、負けて学べば一点、怪我して学べば一点…。そんな価値観で生きようと決めてしまえば、ひょっとすると、やることなすことうまく行かないで苦しんでいる時こそ、一度に三点獲得する絶好のチャンスなのかも知れません。