貴様,それでも日本人か

平成15年07月05日

 東海道線のプラットホームに変な男がいました。

 痩せた身体を旅役者のような派手な着流しで包み、角帯を下の方で締めて、長い髪が金田一耕介のようなよれよれの帽子からはみ出して跳ね上がっています。皮膚は腎臓を病んでいるように浅黒く、そびえ立つ眉の下で両眼が怒気をたたえています。肩から振り分けにした布製の黒いバッグも変ですが、不気味なのは傍らのこもっかぶりでした。どうやら男は、よく神社に積み上げてある、あの大酒樽を持って移動しているらしいのです。

 前歯の二、三本抜けたその六十男を遠巻きにして、ことさら無関心を装う人々の前に列車が入りました。そう言えば大樽は発泡スチロールでできていると酒屋で聞いたことがありますが、男はいとも軽々と樽を下げて列車に乗り込みました。怖いもの見たさの私は、男の後に続きました。男は空いている席には座ろうとせず、通路で背筋を伸ばしているのですが、乗客が大樽につまづく度にすさまじい形相でにらみつけて怒鳴ります。

「貴様、そんなに席に座りたいのか。あさましい。それでも日本人か!死ね!」

 やがて電車が動き出して車内が落ち着くと、今度はふと男と視線を合わせた乗客が攻撃の的になりました。

「何だ、貴様!言いたいことを言え!ネクタイなんか締めて恥ずかしくないのか!死んでしまえ!」

 男ににらまれたサラリーマンは、慌てて目を逸らしてひたすら窓の外を眺めています。

 次の駅でアメリカ人の青年が乗り込みました。

 にわかに男が反応しました。

「日本国は、アメリカから解き放たれて自由国になるべきだ!何だ!この国は。これでも独立国か!アメリカの属国である日本に民主主義などない!貴様らは何を考えているんだ」

 前歯がないために聞き取り難い発音でしたが、男は真剣な顔で延々と演説を続けます。乗客は、私も含めて、最大の関心を払いながら、まるで蝋人形のように無表情にそれぞれのポーズを保っていました。男より先に列車を下りた私の頭の中には、貴様、それでも日本人か!という男の言葉だけが妙に鮮明に残っているのです。