ファッションと防犯ベル

平成15年07月20日

 わずかなコンクリートの割れ目や歩道橋の鉄板の隙間から、名も知らぬ雑草が小さな花をつけているのを見かけたりすると、生命のけなげさと、したたかさを感じます。花は懸命に虫を誘って受粉を果たし、次の生命を創り出します。中には、交尾を終えるとオスがメスに食べられることによって新しい生命の栄養源になる虫がいますが、ここまでくるとけなげさもしたたかさも通り越して、命をつなぐ営みの凄さすら感じてしまいます。メスの気を引くオス鳥の懸命なダンスも、メスのセイウチをめぐるオス同士の血みどろの死闘も、形こそ違え、いのちを次代に引き継ごうとするエネルギーの激しく燃焼する姿なのです。

 では人間の場合はどうでしょう。生命が次の生命をつないでゆく強固なシステムだとしたら、両性は互いを魅きつけたいという狂おしい本能を持っています。しかし本能は本来の意図を意識させません。私たちは、生命維持を意識してではなく空腹を感じて食事をとるように、異性の関心を引きたいという意図を意識しないで、目的に沿った行動をしています。男は女にとって好ましく、女は男にとって好ましい行動様式を身につけて、本能の命令に従っているのです。そう思って見ると、女性のファッションの謎が解けて来ます。大きく開けた胸元、露わな太もも、赤い唇、長いまつげ、ひょっとすると大胆に背中や腹部まで露出し、男の性衝動を誘う場所にはアクセサリーが揺れています。そんな女性を見ると男たちの本能は、女性の思惑どおり、ただちに性衝動の発動を命じます。命ぜられた男たちの脳の中では、長年培われた社会規範と、一匹のオスとしての無軌道な性衝動が涙ぐましい葛藤を展開します。そして二つの強さの相関によって彼は女性の前に素敵な男性として現れたり、けもののような性犯罪者として現れたりするのです。

『女性は常に危険にさらされています。防犯ベルを持って夜道を歩く男性がいるでしょうか?男性にはそんな女性の弱い立場を理解して、破廉恥な痴漢行為は絶対に慎んでほしいのです』

 という趣旨の記事を読みましたが、実はオスの関心を引こうとするメスの本能が、その反動のように、オスに対する期待に満ちた恐怖を発信しているのに違いありません。そもそも生命をつなぐからくりとして男と女がこしらえられた時点から、私たちは大いなる矛盾を抱えて生きてゆく運命を背負っているのかもしれません。