中国人の疑問2

平成15年07月21日

 中国人の友人と露天風呂に入りました。中国には温泉というものが少ないらしく、彼はことのほか喜んで湯の中から雄大な展望を楽しんでいました。何がきっかけだったか、私はふと自分が中国の国歌を知らないことに気がついて尋ねてみると、驚くべき答えが返ってきました。

「中国の国歌は日本と関係があります。中国は日本に侵略されました。その時の戦いの歌が中国の国歌です。日本に負けるな!国を守れ!団結せよ!そして最後はですね」

 彼は銃を構える格好をして、

「進め!進め!進め!と、こういう歌詞で終わります」

 場所が露天風呂ですから、銃を構えてみてもさまになりませんが、私は銃が自分に向けられているような気がして一瞬、侵略者の後ろめたさにたじろぎました。それにしても特定の国との戦いの歌を国歌にして未来永劫歌い続ける精神とはどういうものでしょうか。

「私たちの世代の多くは日本に対して特別な感情を持ってはいません。しかしですね、南京などで日本軍に肉親を殺された記憶のある世代や、それを聞いて育った人たちは、まだ許していません」

 彼はそう言いますが、国歌のモチーフが抗日戦である以上、歌えば友好的になるとは思えません。

「大半の日本人は、原爆を落とされた恨みでさえ平和を願う抽象的な感情に変えて、アメリカを憎んだりしていないんだけどね」

 私はそう言った直後に私たち民族の特異性に気がつきました。ヨーロッパの国々の何世紀にもわたる確執、宗教をめぐって繰り返される争い、ことある毎に日本に謝罪を求めて止まないアジアの隣国たち。執拗な執念と民族の誇りとを核にして国をまとめ上げている世界の国々の中にあって、自分たちのしたことも、されたことも、さらりと忘れて何事もなかったかのような顔をしている私たちが実は特別な存在なのです。そしてそれは、醜聞にまみれても選挙で再選されれば禊(みそぎ)は済んだと称して平然と政界に復帰する政治家や、異動してしまえば責任を免れると考えている公務員や、臆面もなく前言をひるがえして世情に追随する評論家の行動に通じ、さらに源流をたどれば、神前に額づいてけがれを落とせば、瞬時に清浄が得られる神道の本質にたどりつきます。もちろん民族は自分たちの性格に相応しい宗教を持つものですから、原因と結果は混沌としています。宵越しのカネは持たなかったり、明日は明日の風が吹く生き方は、のんきで気楽で、ある意味では幸福に近いものかも知れませんが、過去を容易に水に流さない他の国々とお付き合いをしてゆく上では、少なからず障害になるかも知れません。