満員電車のネズミたち

平成15年08月21日

 通勤時間帯の電車は込み合っていて、岐阜駅で既に座れないところへ、一宮駅でさらに大量の乗客が乗り込んだため、手垢のついた言葉は使いたくありませんが、車内は寿司詰めで立錐の余地もない状態でした。私は、前に立つ女性から痴漢扱いされないように両手で吊り革につかまって、あの集団という生き物の放つ不快な混合臭に耐えていました。天井から定期的に冷房の風が吹いてくる度に、少し離れた場所に立つ男性の残り少ない頭髪がふわふわとそよぐ様子を哀しく眺めていた時です。私の前の女性のさらにひとつ前に立つ背の高い若者に、突然もう一人の、背の低い若者が殴りかかりました。

「わざと踏んだんじゃねえって言ってんだろう!」

 左頬を音がするほどしたたかにこぶしで殴られた背の高い若者は、

「何すんだ、馬鹿やろう!」

 背の低い若者の胸ぐらをつかむのですが、目を血走らせた背の低い若者はそれを振り切って、今度は背の高い若者の髪の毛をつかんで力任せに揺さぶりました。

 満員電車です。

 周囲は凍りついたようになりました。

 私はとっさに背の低い若者の手をつかみ、

「ここではやめなよ。迷惑だから」

 目の前の女性の肩越しに凛として言いました。

 意を強くした周囲のサラリーマンたちがまあまあと二人を分け、若者たちは興奮冷めやらぬ顔をことさら無表情にして、少し離れた場所で別々に無言の時を過ごしました。

 その頃になって私の心臓が速度を増しました。

 とっさの勇気が身を潜め、いつもの臆病が戻って来てみると、勇気と見えた行動の裏に、目の前の女性を楯にした狡猾な計算があったことに気がつきました。それにしても一見普通の若者が、足を踏んだ踏まない程度のことでどうして簡単にキレるのだろう…と思ったとたん、テレビで見た衝撃的な実験を思い出しました。ネズミの集団を過密状態の箱に入れてストレス状態に置くと、お互いを攻撃したり弱いものいじめをしたり自分を傷つけたりと、およそ種の保存とは反対の行動をとるのです。人間も所詮は動物です。満員電車という過度のストレスにさらされた中で、耐性の弱い個体から順に実験室のネズミ状態になって行くとしても不思議ではありません。いえ、ひょっとすると、今や日本の国そのものが巨大な満員電車になっていて、母親によるわが子の虐待とか、理由なき若者の自殺とか、動機とは不釣合いな残虐な殺人事件が繰り返されているのかも知れません。

 列車は名古屋に着きました。

 二人の若者は当然時間をずらして列車を降り、二度と顔を合わせないものと考えていた私の予想に反し、先に下りた背の高い若者は、背の低い若者が降りてくるのを待っていました。今にも取っ組み合いを始めそうな剣幕で言い争いを再開した二人を残して、列車はホームを離れました。

 次の駅で降りた私の胸には、連続ドラマを途中まで見たような気がかりが今もくすぶっているのです。