消しゴムの処理方法

平成15年11月09日

 学生の試験監督を行って、気がついたことがあります。消しゴムのくずの処理方法についてです。特に課題が記述式だったりすると、試験を終えた学生の机には、相当の量の消しゴムのくずが散らばっていますが、退席する時の学生の行動が見事に三つのパターンに分かれるのです。くずを勢い良くパッパッと床に払い落とすパターン、丹念に寄せ集めて廊下のゴミ箱に捨てるパターン、そして、机の上に集めっ放しのまま退席するパターンの三つです。どれが好ましい行動であるかは言うまでもありませんし、人間はどんな時も自己表現をしているわけですから、とった行動に応じた評価を受けることになるのですが、それよりも、なぜこのような差ができてしまうのかということの方に興味があるのです。

 恐らく小学生はパッパッと払い落とすでしょうね。彼らはまだ幼くて自分の世界だけで生きていますから、床に払い落としたくずを掃除する人間の存在に思いが及びません。小学生のうちからくずを集めてゴミ箱に捨てさせようと思えば、教育が必要です。しかし、しつけや罰によって外から強制した行動規範は、人が見ていなければ簡単に破りますね。小学生に限りません。パトカーがいないと平気でスピード違反をしてしまう私たちも、速度規制に関しては同じレベルの規範しか持ち合わせていないわけです。

 しかし中学生、高校生になると少し様子が変わります。思春期を迎えて自我が目覚めますから自分に関心が向くのですね。自分らしさとは何か、つまりかけがえのない個人としての自己主張が始まるのです。ところが主張すべき自己は未だ確立されておらず、かといって主張しないではいられないため、逸脱した流行に参加することで没個性的に個性を主張するという未熟で矛盾に満ちた行動パターンが見られるのもこの時期です。自己を確認することは反射的に他者を意識することですから、他者との距離のとり方に失敗して悩むのもこの時期からですし、恋愛という形での非常に近接した対人関係を経験して、陶酔と不安が実は一枚の紙の裏表であることを思い知るのもこの時期からです。そして、様々な対人経験を積むことによって自我の中に取り込まれた他者の量が、本人の行動に好ましい影響を与えるほどの量に達すると、この頃めっきり大人になったねえ・・・などと言われるようになるのです。そこへ達する速度の差が消しゴムのくずの処理方法の違いになって現れるのでしょうね。

 そのくせ、思考や行動がすっかり大人の色に塗り固められている人には魅力を感じないのも事実です。自由な子供の心をできるだけ残したままで、社会人として必要な程度に自分を律することのできる人間が理想なのですが…。難しいことですね。