喫煙車両の紳士たち

平成15年01月11日

 近鉄特急で伊勢に初詣にでかけました。禁煙車両が満席だったので、やむを得ず喫煙車両に指定席を取って激しく後悔しました。車内が、たばこの煙で紫色にかすんでいるのです。目にしみる刺激臭をものともせず、乗客たちはさらに中空に向かって新しい煙を吐き続けます。その上、禁煙車両から移ってきたサラリーマンは、空いている座席でたばこ一本を煙にすると、再び禁煙車両に戻って行きました。どうやら喫煙車両は、たばこを吸ってもいい車両ではなく、ここで思うざまたばこを吸おうという車両のようです。世はまさに嫌煙時代です。駅もデパートもレストランも、喫煙場所は限定され、歩きたばこを発見すると罰金を取る自治体も出現しました。国鉄の借金も税収不足も、煙草は常に安易な財源として期待され続けています。それやこれやの鬱憤を、喫煙者は青い煙にして勢いよく吐き出しているように見えました。

 実はかつて私もたばこを吸う側の人間でした。

 吸い終えたたばこを指で海にはじき飛ばす裕次郎の姿にあこがれました。タバコは動くアクセサリーという専売公社のコピーに心が動きました。今日も元気だタバコがうまいなどとうそぶいて、たばこは健康のバロメーターですらありました。人と向かい合っていても、煙草に火がついてさえいれば沈黙が苦になりませんでした。やめたのは健康を害したからではありません。突然喫煙はカッコ悪いことだと思ったからです。人に不愉快な煙を吐き出して平気な顔で生きる姿は、道路に平然とゴミを捨てて省みない人と同じではありませんか。他人の健康を害する煙を周囲にまき散らしてはばからない生き方は、町に爆音を響かせて走り回る暴走族と変わらないではありませんか。人が環境というものに無頓着で、おおらかに喫煙を認めていた時代ならともかく、高価な浄水器や空気清浄機を購入して、身体に有害な物質に神経を尖らせるようになった今、あからさまな非難をためらう嫌煙家たちの気の弱さにあまえて、それでもなおタバコを吸い続ける生き方は、どう考えても品性に欠けるのです。そう思ってみれば、許された車両で晴れ晴れと喫煙する愛煙家たちは、マナーを守る紳士淑女たちだったのかも知れません。