国を守るということ

平成15年11月28日

 非行少年の施設に勤務していた頃、私は社会科の授業を受け持っていました。

 憲法9条を教えるに当たって、まずは戦争放棄の章の全文を読みました。

「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

「前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 それから先の児童と私のやりとりです。

「さて、これを読んで、どうですか?自衛隊は憲法違反だと思いますか、それとも違反ではないと思いますか?」

「違反だと思います。戦力は保持しないと言ってるんだから自衛隊は絶対に憲法違反に決まっています」

「しかし、よく読んで下さいよ。憲法は、国際紛争を解決する手段としては戦争をしない、戦力を持たないと言ってるんです。自衛隊は自分の国を守るのが目的で、国際紛争解決のための戦力ではありません。だから軍隊とは言わないで自衛隊と言っているのです。さあ、それでも憲法違反ですか?」

「先生、国際紛争って何ですか?」

「簡単に言えばモメごとですね。君たちは、モメるとすぐ手を出すだろう?(笑) 憲法は、外国とモメても手を出さない。話し合いで解決しますと言っています。ただし、相手が日本を攻撃して来たら、国を守るためには戦力を使う。それが自衛隊だとすればどうですか、憲法違反ですか?」

「それだったら違反じゃないと思います。国を守るためには自衛隊は必要です」

「ぼくも違反じゃないと思います。自分を守らない国なんて国じゃありません」

「よし、解った。解りましたが、それじゃ改めて、国を守るってどういうことか考えてみましょう」

「そんなの考えなくても、攻撃されたら追い返すことですよ」

「殴られそうになったら、こう防いで、こう殴り返す」

「ジェスチャーまでしなくてよろしい。(笑)しかし殴られそうだという判断が難しいですよ?攻撃されてからでは遅いですからね?」

「よその国の軍隊が日本の海に入って来たら追い返せばいいのです。日本は島国だから解りやすい」

「はい、それじゃちょっと視点を変えて質問しますが、日本に石油が入らなくなったらどうなりますか?」

「ラッキー!車が動かないから、先生が施設に来られない(笑)」

「それだけですか?」

「トラックも動かないから商品が届かない」

「燃料がなきゃ工場が動かない」

「火力発電が止まって電気が来ない」

「ちょっと待てよ、石油が止まると日本はつぶれるんじゃないか?」

「仕事もなくて真っ暗で車も動かなくて…本当だ!日本はつぶれる。食料も手に入らなくなってみんな死んじゃう」

「石油を産出する国は限られています。世界の火薬庫と言われている中近東ですよね。そこをですよ、どこかの国がいきなり占領して石油を独り占めしてしまったとしたらどうでしょう?石油を取り返しに自衛隊が出て行くのは防衛ですか、侵略ですか?」

「防衛、防衛。石油がないと日本はつぶれる」

「外国が日本の海に攻めてきたわけではないのですよ?それでも防衛ですか?憲法に違反しませんか?」

「違反しないと思います」

「防衛だと思います」

「解りました。最初の考えと随分変わりましたね。皆さんはここでまず、国の防衛という言葉の意味は、普段日常生活で使うほど簡単ではないということを学ばなくてはなりません。そこで次の質問です」

「…」

「石油を取り返しに自衛隊が出て行くのを仮に防衛と考えてですよ、船も飛行機も石油で動くわけですが、果たして日本の自衛隊は戦えるのでしょうか?」

「?」

「そうかあ!石油がなきゃ自衛隊も動かないんだ」

「そもそも燃料のない国が軍隊を持つことには基本的に無理がありますよね。戦うためには誰かから石油を補給してもらわなくてはならない。ということは、補給してくれる国とは仲良くしなければならない。すると、その国がどこかの国と紛争になって日本に協力を求めてくれば、拒むのは難しいですよね。しかし憲法は国際紛争を武力で解決することは禁止しているのです」

「…」

「自衛隊が軍隊になって徴兵制にでもなれば兵士になるのは君たちです。この国に与えられた条件で国家を守るとはどういうことなのか、皆さんは今日の授業を参考に真剣に考えてほしいと思います」

 今思えば、古くて新しい問題でした。そして、イラク問題を契機に、長い間目をつぶってきた憲法と防衛の関係について、私たちはとうとう具体的に態度を決めなくてはならない時を迎えているようです。

 それにしても冒頭の憲法9条の条文にある「正義」も「秩序」も、その内容となると深々と霧の中であることに愕然としてしまいます。結局政治とは、善悪ではなくて現実処理の集積に過ぎないのだと思い知るのです。