形而下の国

平成15年12月24日

 「自由という価値」の続編のような文章を書きます。

 私たちの国が、現実としてはアメリカと同じように「自由」という価値で束ねられた民主主義社会のように見えながら、どこかで借り物の服を着ているような居心地の悪さを感じるのはなぜでしょうか。私には「自由」が、自分たち自身で苦労して紡ぎだした価値ではないからのように思われてなりません。

 発達は分化と統合であり、十分に分化を果たした社会の多様性という不安を束ねる価値は、もはや「自由」しかないというのが先の文章の趣旨でした。しかし、発達という時系列の変化を待たなくても、空間的に多様性を包含した社会は世界にはいくらでも存在しました。文明は常に適度な自然条件に多様性という酵母が加わった時に醸成されるものですから、比較の問題ではありますが、均質性の高い人々が四方を海に囲まれて暮らすわが国は、文明を起こす多様性からは遠かったのだと思います。稲も鉄も文字も宗教も、鉄砲もお茶も黒船も医学も、進んだ文物は例外なく海の外からやって来ました。私たちの遺伝子は、海外からもたらされた技術とそれに付随する価値が社会を大きく変貌させる様子を何度も何度も体験して現在に至っているのです。

 私たちにとって、自ら紡ぎ出すより「取り入れる」ことが遺伝子レベルにおける生活スタイルになりました。常に海外に目を光らせて文明を取り入れていなければ遅れてしまうという不安が、遺伝子レベルで定着しました。「取り入れる」という行為は、たとえ取り入れられるものが宗教や哲学のような形而上の思想であっても結局は形而下の営みですから、仏教の経典は死者を弔うための呪文になりました。クリスマスは、国民がこぞってケーキを食べる不思議な風習になりました。哲学も、名言とその提唱者を諳んじることが教養の一種になりました。自ら苦労して創り出すことなしに手に入れるいわば完成品は、ネコも杓子もヴィトンを持つように、「持つ」こと自体が目的になりました。同様に、「自由」も「民主主義」も私たちが苦労して創り出したものではなく、世界の文明から取り残されないように慌てて身にまとった貸衣装なのです。

 多様性を統合する価値であるはずの自由は、多様性を経験しないまま導入されて、私たちは今、自由の結果としての多様性に戸惑っています。独裁者による自由の蹂躙を許さないための手続きである民主主義は、守るべき自由そのものが借り物であるために、談合の結論を追認する儀式のように映ります。居心地の悪さは貸衣装を着ているせいなのです。そのくせ案外ケロリとした顔をしているのは、私たちにはもはや身につけるべき自前の服がないこともまた判っているからではないでしょうか。それにしてもこれだけ長期に身につけていれば、貸衣装といえども身体に馴染みそうなものですが、居心地の悪さが一向に払拭されないわけは、民族の遺伝子が、必要とあらばいつだって脱ぎ捨てて新しい貸衣装と取り替える身構えだけは忘れないでいるせいかもしれません。