臆病な包装紙

平成15年12月24日

 いよいよ自衛隊がイラクに派遣されます。

 自衛隊というと、平和模様の包装紙で包んではありますが、中身は迷彩服を着て武器を持ち戦闘訓練を受けた集団ですから、相手から見れば明らかに「軍隊」です。「軍隊」を「自衛隊」に、「派兵」を「派遣」と言い換えることによって血なまぐさい戦いの印象を免れているのです。

 事態をむき出しにせず穏やかな言葉に置き換えることで、直面したくない事柄から目を逸らすという巧妙な知恵は、私たちの民族の古くからの得意技ですが、背景に、問題ときちんと向き合うことを恐れる「臆病」が存在しているとしたら厄介です。

 中国への「侵略」を「侵攻」と言い換えたのは、自分たちが他国の主権を踏みにじった過去を持つ民族であることを認識するのが不愉快なのでしょう。「敗戦」を「終戦」と言い換えるのも、「負けた」という生々しさを意識の外へ追いやりたいという意図がありそうです。不祥事がある度に責任者が「あってはならないことが起きてしまった」などと他人事のようにコメントする時は、自分をできるだけ当事者から遠ざけておきたいのに違いありません。「崩御」「他界」「臨終」と言えば、遺体の現実感は霧のように消え去ります。「誠に遺憾に存じます」という言葉からは、本当に残念な感情は伝わりません。古くは日本赤軍の戦士たちが「総括」という名の下に同士の殺戮を繰り返しましたが、同様にオウム真理教の信者たちがまるでゲームのようにたくさんの人命を奪った背後には、「ポア」という言葉の軽快さが影響していたに違いありません。

 日本語は変幻自在です。そして人間は弱い存在です。自分の醜さや不甲斐なさと向き合うのを避けるために耳障りのいい言葉で事態を包装するには、日本語は誠に都合がいい言語なのです。

 しかし、目を逸らさないできちんと結論を出すべき問題に、わかったような言葉を与えて放置する態度は改めなければなりません。

「非戦闘地域に人道支援を行うために自衛隊を派遣するのであって、武器弾薬は運ばないが、積荷の中に武器弾薬が混入しているかどうかについては一々確認する術はない」

「非戦闘地域だからといって安全とは限らないし、戦闘地域だから危険とも言えない」

「戦争の相手国たる国家が事実上崩壊している以上、現在の事態は憲法に規定された国際紛争には当たらない」

「テロは国権の発動ではないのだから、憲法は自衛隊に、正当防衛上の必要性から武器を使用することまで禁止していない」

 これらの解釈や説明に使用されている言葉から全ての包装紙を引きはがす勇気を持たなければ、私たちは結局、この国にとっての国防の意義すら真剣に考えないまま時流に身を任せてしまうような気がしてなりません。