バンパーのおてもやん

平成15年12月29日

 車の冬装備をする前に突然降った大雪にスリップをして、迂闊にも後ろのバンパーを石垣にこすりつけてしまいました。点検すると、幸い損傷はほんのわずかで、表面の塗料がひっかいたようにはがれ、生地が黒く露出していました。恐らくそんなキズ、他人は気がつきもしないでしょう。しかし私は気になってなりません。どこにもキズのなかった真っ白の新車が…と思うと、残念で残念で、カー用品の店に行って補修用の塗料を買ってきました。チューブに入った白い塗料をヘラで塗り、説明書に書いてあるとおり、付属の水ヤスリで丹念にこすって平らに平らに仕上げました…が、何ということでしょう。こすった跡が周囲の色と微妙に違います。おてもやんのほっぺたほどではありませんが、純白のバンパーがそこだけ丸く黄ばんでしまったのです。今度はそれが残念で残念で、こんなことなら黒いひっかきキズの方がまだましだったと後悔するのですが、まさかこんなことでバンパー一つ交換するわけにはいきません。それ以来、車に乗っていても乗っていなくても、私の脳裏にはバンパーのおてもやんがこびりついて離れなくなりました。やがて他人の車のバンパーにまで、ねたましさの混じった視線を向けている自分に気がつくに至って、これではいけないと思いました。ふいに、新築した家の柱の節穴を秋葉神社のお札で隠す「牛ほめ」という落語を思い出しました。行きつけのディーラーに無理を言って大きめの丸いシールをバンパーに貼ってもらいました。

 こうしておてもやんはすっかり隠れ、久々に私の気持も晴れたのですが、晴れたとんに憑き物が落ちるように一連の経緯の滑稽さに気がつきました。ここ数日間、私は、誰にもわからないバンパーの小さなキズを気に病んで心乱れる日々を過ごしていたのです。

 私たちはどうやら、強烈な自己愛が自己愛という服を着て歩いている存在のようです。電車の中で頻繁に鏡を取り出して化粧を直す女性にとっては、他人が絶対に気にとめもしないまつ毛の微妙なカーブの具合がバンパーのキズなのでしょう。「われ、何を眼つけとんじゃ!」と凄んで見せる強面のおあにいさんにとっては、他人の視線にこもるひそかな非難や敵意がバンパーのキズなのでしょう。わが子に自己愛を丸投げしてしまった母親にとっては、子供が持ち帰る成績表の結果がバンパーのキズなのです。

 自己愛は、私たちの行動にエネルギーを供給し続ける大切な燃料倉庫ですが、うっかりすると全く本質的ではないことに血道をあげてしまう不合理な危険性を秘めています。早いうちに気がついて、思い切って秋葉神社のお札を貼ってしまうのが得策のようですね。