たましいのステージ

平成16年06月04日

 私たちは前世にし残した宿題を解くために今世を生きているのだという人がいます。残念ながら私は自分の前世を実感したことがありませんので、にわかに納得するわけにもいきませんが、遺伝子レベルで考えれば、私の命はこの世に生命が誕生した時点まで遡るわけですから、恐らくその間には人殺しをしたり人助けをしたり泥棒をしたり施しをしたりと、それはそれは様々な経験をしたに違いありません。しかも命をつなぐ度に、同じ長さを別の経験をして生きてきた遺伝子と半々に混合して今日に至っていることを思えば、前世の宿題などと言われても見当もつきません。

 とはいうものの、自分も含めた周囲の人間の関心の在り処を眺めると、たましいにはそれぞれに到達したステージがあるような気がしてなりません。

 例えば物欲の虚しさを学ぶために、ものが欲しい、カネが欲しいという経験をしたがっているたましいは、必要な経験をし尽くして卒業するまではそのステージを下りるわけにはいきません。同じように物欲に駆られたたましいたちを舞台に集めて、かけひきにまみれたドラマを繰り広げます。お互いに必要な経験をするために、類は友を呼ぶのです。

 虚栄に満ちた人格は虚栄に満ちた者同士、知識欲の徒は知識を求める者同士、人間関係に飢えたたましいは飢えた者同士、ほとんど無意識に魅かれ合ってステージを占有します。

 そこに他のステージに上るべきたましいがうっかり上れば、いたたまれないような居心地の悪さを感じることでしょう。ステージの優劣を言っているのではありません。たましいにはそれぞれ取り組むべき課題があって、お互いに必要な経験を与え合える相手を求めてはつながってゆくと言っているのです。

 必要な経験をし尽くしたたましいは、現在のステージを卒業して次のステージへ移ります。こころざし半ばにして今世を去ったたましいが、学び残した宿題に次の世で取り組むかどうかは解りません。ただ、ともすると周りの全ての人々と友好な関係を結んでいなければ落ち着かない困った傾向のある私の場合、異なるステージの人にまで好かれる必要はないのだと自分に言い聞かせることによって、わずかに不安から免れるのです。