私の不思議体験

平成16年01月07日

 五十年も生きていると、誰だって不思議な体験の一つや二つは持っているものですが、私には、今思い出してもキツネにつままれたような気分になる奇妙な思い出があります。

 当時、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』という小説に夢中になっていた私は、本に出てくる竜馬ゆかりの地を丹念に拾い出し、四国巡りの旅を計画しました。貧乏学生がアルバイトで貯めたカネで旅行するのですから贅沢はできません。それに一人旅というものはそもそもデラックスでは意味がなく、駅ごとに列車を待つ間の風景や人との触れ合いをこそ楽しみにするものなのです。

 何という駅だったかはすっかり忘れてしまいましたが、乗り継ぎの列車の車窓を眺めてぼんやりと発車を待っていた時のことです。ガラ空きの列車に年配の女性が二人乗り込んできて、通路を挟んだ反対側の席に陣取りました。しばらくすると、

「学生さん、学生さん」

 女性のうちの一人が私に声をかけました。

「?」

「足元におカネが落ちてるよ」

 見ると千円札が六枚、座席に隠れるように散らばっています。

「あ、済みません、ありがとうございます」

 私は咄嗟に六枚のお札を拾って無造作にズボンのポケットにねじ込みました。そしてその直後、激しい後悔に襲われたのです。

 もしも落とし主が帰って来て、

「あの、この辺りに千円札が何枚か落ちていませんでしたか?」

 と尋ねたらどうなるのでしょう。

「あ、それだったら学生さんがポケットに入れたはずだけど、ちょっとあんた、自分のおカネじゃなかったのかね?」

「あ、いえ、友だちのズボン履いてきたものですから、てっきりポケットから落ちたのかと思って」

 そんな言い訳が通用するとは思えません。

 かと言って今更実は私のものではないのですとも言えないではありませんか。

 私はつとめて平静を装って、窓に広がる真っ青な夏の空を眺めていました。しかし心の中は刑事に追われる犯人のように怯えていました。人がプラットホームを近づいて来る度に、落とし主ではないかという不安に身を縮めました。

(そうだ!飲み物でも買いに行くふりをして箱を変わればいいんだ)

 私は春風のようにふわりと席を立ち、下りたとたんに今度は疾風のように走って、三つ離れた箱に乗り込みました。

 ところが、座席に座ってようやく人心地がついた頃、

「学生さん?」

 通路を挟んで反対側の席の、全く別の中年の女性が声をかけたのです。

「座席の下におカネが落ちてますよ」

「!」

 私は夢を見ているのではないかと思いました。枚数が一枚少ないだけで、さっきと同じように座席の下に千円札が散乱しているのです。

「あ、済みません。ありがとうございます」

 私はまたしても礼を言って札をポケットにねじこみましたが、今度はためらわずさっさと列車を下り、

「次のにします」

 逃げるように改札口から駅の外に出たのでした。ポケットには、当時の学生にとっては大金の一万一千円がくしゃくしゃになって入っていました。現実にはそのカネは、屋島と金毘羅での飲み食いに消えてしまいましたが、三十年以上たった今でも後ろめたさがトゲのように刺さったまま消えません。ひょっとするとあの不思議な千円札たちは、これまでもこれから先も、

「他人のものを自分のものなどと偽るなよ」

 と私の胸の奥から戒め続けているのかも知れません。