日本人の笑い

平成16年10月17日

 台風の当たり年でした。

 いくつもの台風が、まるでマラソンレースのように日本列島を次から次へと縦断し、深刻な爪痕を残して去って行きました。甚大な被害を受けた三重県の村では、度重なる雨で地盤がゆるんでいるところへ、またしても大型の台風に直撃されることとなり、住民たちが自主的に体育館に避難していましたが、テレビで放映されるインタビューの様子を繰り返し見るうちに、とても奇異な事実に気がつきました。マイクを向けられた若い女性が、にっこりと微笑みながら台風の恐怖を語っているのです。

「ところで今、何がご心配ですか?」

 というアナウンサーの質問に、

「そうですね…。やはり、わが家がどうなっているかが気がかりですねえ」

 彼女は嬉しそうに笑って答えているのです。

 テレビの音を消せば、

「おめでとうございます。どうですか、新婚生活は?」

 と聞かれ、

「はい。彼はとてもやさしくしてくれて、思ったとおりの人でした」

 はにかみながら幸せを語る新妻の様子と変わりません。

 そう思って気をつけると、激しい風にあおられて、ほうきのように反転したビニール傘を片手に、電柱につかまりながらインタビューを受ける初老の女性も笑っていました。

「身内の結婚式にどうしても出席しなければならないのですが、これじゃあねえ…」

 運航の目途も立たない飛行場で途方に暮れる背広姿の男性も笑っていました。

 どうやら私たちは総じて、困った時には笑う民族のようです。

 プラットホームに駆け込んだとたんに目の前で電車のドアが閉まった時、アメリカ人はさも悔しそうなパーフォーマンスをしてみせるのに対して、日本人はにやりと笑うという有名な話しがありますが、私たちの行動様式は他の国の人々のそれとは随分違っているのだと思います。

 病院勤務の頃、おなかの調子が悪くて何度もトイレに通ったことがありました。部屋に戻ってしばらくすると、またしても下腹がぐるぐるごろごろしぶるように痛くなって、はす向かいのトイレに駆け込みます。廊下に人がいると、みっともない事態を悟られたくなくて、わざと鷹揚にゆっくり歩いて見せるのですが、実情はおしりをつぼめて脂汗をかいていました。

 和式の便器にしゃがんでまさに「ユダヤ人と日本人」の著者(イザヤ・ベンダサン)になろうとした時です。

 いきなり個室のドアが開きました。

「うわっ!」

 と声を出して飛びのいたのは、ドアを開けた男性の方でした。

 私はというと、開けた男性を見上げてなす術もなくニヤニヤと笑っていたのです。

 それ以来私は、個室に入っていて外でちょっとでも物音がすると、反射的にドアの鍵を確かめる癖がついたのです。