悲しいティッシュ

平成16年11月15日

 非行少年の施設に勤務していた頃のことです。朝の職員会議で男性便器に捨ててあるテイッシュが話題になりました。

「あれは水に溶けませんから、掃除の者が困っております」

 いったい誰の仕業だろうということになり、ちくのうでティッシュを持ち歩いている「やまもと」(仮称)が疑われました。

 ティッシュは便器ではなくゴミ箱に捨てるようにと注意を与えても改まらないため、「やまもと」は別室に呼ばれて叱責を受けました。

「なあ、やまもと。便器にティッシュは捨てるなと言っただろう」

「おれ、捨ててないっすよ」

「本当のことを言えよ、怒らないから」

「おれ、捨ててないっすよ」

「嘘をつくな!」

 職員は語気を荒げ、

「お前以外に誰が捨てるんだ!え?誰が捨てるんだ、言ってみろ!」

 すると、「やまもと」は急に観念したようにうなだれて、

「すいませんでした…」

「ティッシュを捨てることよりもだなあ、そうやって嘘をつく態度が先生は許せんのだ」

 「やまもと」は廊下に正座をさせられて、例によって反省文を書きました。

『ぼくはちくのうが悪いので小さい頃からティッシュを持ち歩いています。トイレで鼻をかんだティッシュを、面倒なので便器に捨てていましたが、先生に言われて、掃除する人のことを考えない身勝手な行動だったと反省しました。これからはゴミ箱に捨てようと思います。本当に申し訳ありませんでした』

 こうして「やまもと」が罰としてグランドの草むしりを課せられた週の土曜日に、職員たちは恒例の親睦旅行に出かけて行きました。

 温泉地で一泊した翌日は、朝から小雨が降っていました。午後になると、ビールにもカラオケにも飽きてしまったバスの車内は、フーテンの寅さんのビデオが虚しく流れ、大半の職員は毒でも服んだように眠りこけていました。やがて車窓に田園風景が広がった頃、路肩にバスが停まりました…と、週に一度、特定の科目だけを教えに来ている嘱託の男性教員がバスから下りて、田んぼに向かって小用を足し始めました。

(何だ、ドライブインまで我慢できなかったのか…)

 ぼんやりと眺める私に背を向けて用を足し終えた老教員は、尿の切れが悪いのでしょう、 ズボンのポケットからティッシュを取り出すと、チョンチョンと先端のしずくを拭いてポイッとティッシュを捨てました。

(!!!)

 便器にティッシュを捨てた犯人は目の前の老教員だったのです。

 翌週の体育の時間、私は「やまもと」と並んで走りながら言いました。

「トイレのティッシュ、お前じゃなかったなあ…」

 「やまもと」は一瞬驚いたように私を見ましたが、すぐに前を向くと、

「いいっすよ、誰でも」

 そう言ってスピードを上げて走り去りました。

 状況から見て疑いが晴れないと判断するや、簡単に罪を認めて見事な反省文を書いてしまう安易な現実処理の方法を、叱責や追及から逃れる知恵として身につけてしまった十七歳の「やまもと」には、いったいどんな過去があったのでしょう。私は、背の高いの青いジャージの「やまもと」の後ろ姿を、複雑な思いで見送りました。