悪代官の家来たち

平成16年11月22日

 水戸黄門のラストシーンは決まっています。

 見るからに憎々しい顔をした悪代官が、

「うむ、言わせておけばいい気になりおって、それ、皆の者、狼藉者を切り捨てい!」

 と命ずるや、どこに潜んでいたかと思う人数の家来たちが屋敷の中から群がり出て水戸黄門一行に切りかかます。

「助さん、角さん、懲らしめてやりなさい」

 黄門さまの許しを得た助三郎と角之進が、素手や、奪った刀の峰で、懲らしめるというよりは防戦に近い戦いぶりをする傍らで、黄門さまの警護に当たる屈強の忍者たちが容赦なく家来たちを斬り殺します。

 そして、

「もういいでしょう」

 という黄門さまの声を合図に、

「静まれ、静まれ、ええい、静まれい!」

 この紋所が目に入らぬかという胸のすく台詞が始まるのです。

 暴れん坊将軍も同様です。

 目の前の浪人を吉宗と気付いていながら、

「こやつは上様を偽るただの素浪人。それ、皆の者、斬り捨てい!」

 悪代官に命じられて一斉に斬りかかる家来たちを、吉宗は鮮やかな太刀さばきで峰打ちに倒して行きますが、将軍警護の忍者たちは、ためらうことなく斬り殺し、

「成敗!」

 という吉宗の一言で、最後に残った悪代官が哀れな最後を迎えるのです。

 時代劇の醍醐味は、庶民を泣かせた悪代官一味に正義の裁きが下る大立ち回りにあるのですが、最近私はこのシーンが楽しめません。

 長年サラリーマン生活を経験している私は、忍者たちに一太刀で殺されてしまうたくさんの家来たちの身の上を自分に重ねてしまうのです。彼らにも妻子がいることでしょう。年老いた両親がいることでしょう。一家のあるじを殺された家族は、次の日からどうやって生活してゆくのでしょう。そもそも彼らは殺されなければならないほど悪いことをしたのでしょうか。組織に所属したサラリーマンである家来たちは、職務命令には従わなければなりません。ましてや封建時代のこと、上司の命令は絶対です。彼らは自らの判断で行動しているのではなく、職務を忠実に遂行しているのです。間違っていると思っても、それを指摘できないまま黙々と職務を遂行する従業員の姿は、江戸の昔に遡らなくても、高度経済成長期の公害企業に見られました。雪印がそうでした。三菱がそうでした。カラ出張の官庁がそうでした。そして何と、取り締まる立場の県警までが組織ぐるみで裏ガネ作りに手を染めていたではありませんか。

 所属する組織が悪いことをすれば、

「懲らしめてやりなさい」

 と言われて斬られてしまってもやむを得ない立場に、私たち従業員はいるのです。

 所属する組織を国家にまで拡大すれば、北朝鮮の問題に思い至ります。懲らしめてやりなさいという民意に従って経済制裁を発動すれば、たくさんの家来、即ち国民たちが飢え死にすることを念頭に置く必要がありそうです。もちろん、そうなる前にかの独裁的な悪代官が最後を迎えれば問題はないのですが…。