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家族の形
平成16年01月30日
午前の講演のために、熱海のホテルで一泊する機会がありました。二度三度温泉を楽しみ、あれだけしたたかに熱燗を飲めば、普通なら朝食など食べたくもないはずなのに、朝の露天風呂から戻って来ると、よし食うぞ!という気分になるから不思議です。
朝食はバイキングでした。同じ浴衣を着た大勢の老若男女が、クリーム色のトレイを手に列をなす姿は、われにかえると異様な光景でした。係りの職員は羊飼いにでもなった気分だろうと思いながら、あじの干物、じゃこおろし、のり、生卵、ひじきの煮つけ、野沢菜漬け等々、昨夜のカロリーの帳尻を合わせるかのようにヘルシーなおかずばかりをトレイに乗せ、最後にお粥と味噌汁を並べて空いている席に座りました。
目の前には、一組の初老の夫婦と、明らかに妻の母親と判るお年寄りが朝食を取っていました。夫は持った茶碗が小さく見えるくらい大柄な、どこかの会社の管理職といったタイプでした。妻は動物にたとえればニワトリ系の顔だちで、時折り眼鏡の奥から伏目がちの目を抜け目なく周囲に泳がせていました。妻の母はといえば、痩せて小さくて、常におどおどとした憤りに支配されているような、楽しめない表情をしていました。
「あなた、フルーツ食べるでしょ?ね?食べるわよね、持って来るから」
妻はそう言うと、夫の返事を聞かないでいそいそと立ち上がり、数種類の果物を皿に乗せて戻って来て、
「ほら食べて、パイナップル、美味しいから、食べて」
夫の顔ではなく、フルーツに視線を落としたまま盛んに催促しました。夫が緩慢な動作でパイナップルを一つ口に運ぶと、
「イチゴも食べて?ね?ほら食べて?」
今度は夫がイチゴを食べるまで言い募ります・・・と、母親の箸からご飯つぶがこぼれ落ちるのが妻の目に留まりました。
「こぼれたでしょう?ご飯。残していいのよ、半分。ご飯残してヨーグルト食べたら?体にいいから。ヨーグルト。ね?」
食べろ食べろとヨーグルトを口元まで持ってこられた母親は、怒ったような目で娘をにらみながら、おどおどと箸をスプーンに持ち替えました。夫の顔にも母親の顔にも、この人に逆らっても仕方がないという諦めの色が浮かんでいました。
お茶を飲め、熱いから気をつけろ、ジュース持ってこようか、おなかはふくれたか…。
食事の間中、ひたすら妻だけがしゃべり続け、夫と母親は終始無表情に妻の指示に従っていました。家族が初めからこんな形だったとは想像ができません。新婚時代があり、子育ての期間があり、子離れの時期を経て、現在に至っているはずです。家族の、どの時期に何があったのでしょう。あの人たちは何を築き、何を築いて来なかったのでしょう。これから先、どんなふうに母親を送り、どんなふうに老いてゆくのでしょう。
彼らが去った円卓に一人取り残された私は、ふと、他人事ではない不安に襲われてあわてて席を立ったのでした。
終