変身願望

平成16年03月06日

 たわむれに宴会用のかぶりものを買いました。ゴムでできたフランケンシュタインはとてもリアルで、かぶっておどけると、怖ろしい顔と愉快な動作のアンバランスがおかしいのでしょう、笑い転げた子供たちは、ぼくに貸せ、私に貸してと奪い合い、お面をかぶっては盛んに踊って見せてくれました。それ以来、わが家のかぶりものは一つ増え、また一つ増えて、今では仲間で宴会をする度に大きな袋を二つ会場に持ち込んでは、参加したメンバーにかぶらせることにしています。バカ殿や謎の中国人に変身した仲間たちは、素顔の時とは別人のように解放的になって、ところ狭しと体をくねらせて歩き回るのです。

 どうやら人は、お面をかぶって変身すると、大胆になれるもののようです。サングラスをかけた人が妙に態度が大きいのも、ヒゲをはやした人の言動が共通して積極的なのも、本来の素顔を隠しているという意味では、お面をかぶっているのと同じ心理が働いているのではないでしょうか。

 駅のコンコースであぐらをかいて、ギャルが化粧をしています。プラットホームで輪になって、ギャルがタバコを吸っています。満員電車で携帯電話が鳴り響いて、ギャルが大声で話をしています。きんきらきんの髪、アメリカ映画の女優のような眉、食虫花のようなマツ毛…。唇はなめくじのような光沢を放ち、ピエロのように派手な衣装は、そこだけスポットライトが当たったように異次元の世界を作り出しています。

「ギャルのファッションするとさあ、自分が強くなれたような気がすんのよね」

 いじめと引っ込み思案を克服したというギャルが、インタビューに答えていました。

「強くなったんだったら、もうそのファッションやめてもいいんじゃない?」

 という指摘は当たらないでしょう。彼女たちはメイクというお面をかぶって変身しているから大胆なのです。そして、それを強くなったのだと意識しているのです。お面を外したとたんに、もとの臆病な素顔でうつむくことになるのをうすうす知っているのだと思います。

 そう考えてみるとギャルに限らず、人は様々なものに変身して、むき出しの自分で生きる不安から何とか免れているのではないでしょうか。役割、肩書き、制服、権限、資格…。それらのすべてからすっかり開放された時、人は生きることからも解き放たれて、誰にも見せたことのない本当の素顔で横たわるような気がするのです。