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思いと現象のネットワーク
平成16年03月06日
懺悔のつもりで書きます。
過日、あるとんでもない過疎の村へ講演に出かけて一泊した朝、一人のおばあさんが旅館を訪ねて来てこう言うのです。
「きのうは本当にいいお話で、久しぶりに心から笑って泣きました。何かお礼がしたくてこんなものを…」
差し出されたビニール袋は受け取る前から強烈なにおいを発していました。お口に合わなければ捨ててくださいと言われて、
「いいえ、漬物は大好きですから」
受け取ったぶよぶよの袋から出る発酵臭は、車の中を最悪の状態にしました。午後に別の町で一つ講演を済ませなくてはなりません。それからフルに高速道路を使って家に帰ったとしても、着くのは確実に八時間後…。このまま放置すれば新車は漬物桶にタイヤをつけたみたいになってしまうではありませんか。
お口に合わなければ捨ててくださいというおばあさんの言葉を思い出しました。その一方で、旅館の玄関先ではにかみながら袋を差し出した時のおばあさんの、少女のような仕草を思い出しました。
「申し訳ないけど捨ててしまおう」
「いや、そんなことをすれば罰が当たる。これは漬物ではなくて、おばあさんの気持なんだ。おばあさんの好意がにおっていると思えばいい」
「しかしお前、我慢して家まで持ち帰ったとしてもだぞ、食べるかこれ?しばらくは冷蔵庫に保管するけど、ちょっと日にちが経ったからとか何とかいって結局は処分するような気がしないか?だとしたらだぞ、捨てると解ってるものを丸一日、臭いの我慢して運ぶことに何の意味があるんだ?」
「だけど、頂いたものをすぐに捨てるというのはやっぱり申し訳ないだろう。同じ捨てるにしても日にちが経ちすぎたからと、まずは自分を納得させてからでないと…」
「それはお前がお前のためにする贖罪の儀式みたいなもんだろう?ありがとうとお前が漬物を受け取った時点で、おばあさんの気持は満たされている。あとは漬物とお前との関係だ。あのビニール袋とおばあさんの気持とを同一視するから合理的な判断ができない。漬物は漬物。食うか食わないか。臭いの我慢して運ぶか今すぐ捨てるかのどちらかだ」
「そうか…。それはまあ、そうだよな」
運転しながら自問自答の勝負がつきました。
そうと決まれば一刻も早くこのにおいから開放されたくてなりませんが、過疎の村ですから走っても走ってもゴミ箱というものがありません。…と、小さなスーパーを通り過ぎました。店先には確かにゴミ箱がありました。ガムかジュースを買って、こっそり捨てさせてもらおうと思いました。Uターンをしようと歩道に頭を突っ込んでバックしながらハンドルを左に切った時です。右前輪近くでガリガリッという嫌な音がしました。見ると、運転席からはちょうど死角になる位置に金属の杭が立っていて、新車は見事にへこんでいました。「罰」という言葉が浮かびました。おばあさんの心づくしの贈り物を捨てようと思ったとたんに、まだ捨てないうちに天罰が下ったのです。
修理には三日かかりました。高い漬物になりました。しかし、直って来た車を運転しながらこの頃しきりに思うのです。私には痛い出費でしたが、板金屋にとっては有り難い儲け仕事だったはずです。どちらも、もとをただせばおばあさんの漬物が原因です。おばあさんが私にわざわざ漬物を届けようという気持になったのは、私の講演に感動したからでした。私があの寒村で講演をすることになったのは役場の職員が別の場所で私の話を聞いたのがきっかけでした。私が人様の前で話しをする立場になったのは、「老いの風景」の連載が原因で、それを書き始めたきっかけは…とたどっていくと、過去から現在に至るあらゆる現象が、自他の区別なく精密につながっているのが解ります。そして私たちが引き起こす現象の背景には、必ず人間の思いがあるのです。あの日、もしも別の講演が入っていたら事態は変わっていたでしょう。漬物事件は起きなかった代わりに、私は事故に遭って死んでいたかも知れません。
「講師は渡辺哲雄さんでいかがでしょう?」
と提案されて、
「いや、あの人の話は一度聞いたことがあるから今回は違う人を」
と答えた人物の意見が入れられて、別の講演が入らなかったことの上に漬物事件が成立しているかも知れないことを考えると、この世に張り巡らされている人の思いの膨大なネットワークを感じます。風が吹けば桶屋が儲かる程度の騒ぎではありません。まるで神経細胞のように、ネットワークの上を大量の人間の思いが交錯し、相互に影響し合って刻々の現象を作り出しているのです。
因縁という言葉は、思いと現象のネットワークと言い直せば新鮮な意味を持ちます。私たちが思うこと、あるいは思わないことは、微弱ではありながら全世界の人々とつながって巨細に影響を与え合っています。その総和として現在があるのだと思えば、戦争も環境汚染も政治腐敗も子供の虐待も、私たち一人一人のありようと必ずかかわりがあることのような気がしてなりません。
終