- ホーム > 平成16年掲載コラム/目次 > 共有する罪
共有する罪
平成16年03月07日
タイタニックという映画の中で、おんなこどもから先に逃がそうとするクルーにカネを渡して、いち早くボートに乗り込もうとする男がいました。観ている者はその姑息さにいきどおりを感じたものですが、同じ場面に遭遇したとしたら、あなたは同じことをしないという自信がありますか?日常に電車を利用する時でさえ、下りる乗客の隙間からわれ先に乗り込もうとすることのある私は、生命の危機にさらされた場面での自分の行動のいさぎよさに自信がありません。たまたま物語の中で男が卑怯なふるまいをするのを、同じ卑怯を共有する私が、たまたま観る側に回っていきどおっているのです。
「捕虜というものは厄介なものです。逃がせばたちまち敵になって我々に銃を向ける。生かしておけば食料が要るし、移動をする際の足手まといになる。そこで民家に大量に閉じ込めて火をつけるんです。命令があれば私、やりましたよ」
だから本当は自分も戦犯なのだと、酔って私に打ち明けた八〇才の元陸軍兵士と同じことを、同じ状況に置かれたあなたはしない自信がありますか?たかが職場の清掃作業なのに、上司から始め!の合図があると、延期したらどうですかのひとことが言えなくて、黙々と雨の駐車場で缶拾いをしたことのある私には、戦地での上官の命令に背く自信はありません。自分が上官になった場合でも同じことです。逼迫した戦況の中で捕虜の扱いに窮すれば、処分せよという命令を下さない自信はないのです。
空腹のあまりコンビニで菓子パン一つ盗んだ男を執拗に追いかけた勇敢な店長が、犯人ともみ合った末刺殺された事件がありました。腹が減ったくらいでパンなんか盗むなよ…と考えるべきではありません。菓子パン一つ盗まなければならないほど空腹だったと考えるべきでしょう。幸いにして私はパンの窃盗を経験することなくこれまで過ごして来ましたが、それは私が盗みを犯さない人間であることの証しではなく、そこまでの空腹を体験しなくても済むほどに恵まれていたことの証しなのです。盗む。逃げる。追いかけられる。パンはまだ食べていない。空腹でめまいがする。振り向くと、空腹とはおよそ縁のない正義感あふれる若者が迫って来る。世の中はわずか菓子パンひとつを見逃してくれない。絶望の中でポケットのナイフを握る…。後ろから組み伏せられた時、私には刺さない自信がありません。
してみると戦争犯罪はもちろん、貧困による犯罪も怨恨による犯罪も、心理的屈折を背景とする虐待も愉快犯も、私はたまたま免れて今日があることに感謝しないではいられません。事件の当事者たちは、ともすると自分の脆さ危うさに目を逸らして生きようとする私たちに、共有する罪のありかを暴いては警告を発する役割を果たしてくれているのかも知れません。
終