中国の旅1(出発)

平成17年04月03日(日)

 北京空港を飛び立って済南へ向かう機内からふと見下ろすと、広大な大地を茶色の大蛇がうねっていました。黄河でした。晴天でも黄色く濁るこの大河が流域に形成した肥沃な平野に一大文明が起こって以来、この国は世界に向かって文明の発信地であることを誇りにし、自らを「中華」と称しました。

 複数の異民族の点在する大陸に誕生した権力は、拮抗する勢力を廃し或いは束ねるために苛烈な手段を必要としたのでしょう。権力を掌握した後はその力をことさら誇示する一方で、同じ手段で権力を奪い取られることを病的なまでに恐れました。護るべき中心に堅牢で壮大な壁を巡らす習慣は誇示と同時に不安の象徴であり、中心が建物であれば映画「ラストエンペラー」の舞台となった紫禁城となり、領土であれば全長が日本の国土を三周するほどの距離に及ぶ万里の長城となるのです。

 世界遺産を見て回る五泊六日の旅は、振り返れば、ひたすら中国という国の大きさと、権力の爪跡を訪ねる旅だったように思います。以下、旅の記憶をたどりながら、私が感じた中国らしさについて思いを巡らしてみようと思います。きっとそれは鏡のように、知らず知らず私を支配している日本らしさについても照らし出してくれるに違いありません。


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 さて、旅はまず思いがけないハプニングで幕を開けました。空港内に温泉があることで話題になったセントレア、つまり、まだ真新しい中部国際空港で出国を待つ乗客の耳に、北京便が整備不良のために四時間遅れる旨のアナウンスが飛び込みました。三時間のフライトが四時間遅れるということは、本来なら北京に到着する時刻に私たちはまだセントレアの硬い椅子の上にいるということを意味します。しかも遅れの原因は気象条件ではなくて整備不良なのです。到着した足で中国の国内便に乗り換えて済南に飛ぶ予定の私たちは、恐らく到着日のホテルを含めて大幅な日程変更を余儀なくされることでしょう。ところが、お詫びのしるしとして配られたパック詰めの助六寿司を空港ロビーでほおばって、ようやく到着した飛行機へ搭乗する私たちに、謝罪の言葉はついに聞かれませんでした。多大な迷惑をこうむった乗客たちを迎える制服姿のチャイナ嬢たちも、最後まで鳥のように気高い表情を崩しませんでした。日本の航空会社であれば、遅れた責めを従業員も共有して接客態度に表します。

 これが中国かもしれない…。

 今度の旅で最初に私を襲った強烈な印象でした。