中国の旅3(泰山)

平成17年04月29日(金)

 「泰山鳴動して鼠一匹」という諺に登場する泰山が、二日目の午後の旅の目的地でした。

 私たちを乗せた右ハンドルのマイクロバスは、右車線の一番右、つまり追い越し車線を、例によって盛んにクラクションを鳴らしながら、猛スピードで走ります。荒涼とした景色が車窓に広がったかと思うと、鍬を持った農夫が広大な緑の畑にポツネンと立っていたりして、あの面積を一人で耕しているんだ!と驚く目の前を、今度は手に手に竹箒を持って路肩を掃除する数人の男女の姿が流れ去ります。建設現場にも重機の姿はなく、ひたすら人間がブロックを積んでいる様子を見ると、中国の生産活動はまだまだ人力に頼る段階なのでしょう。そう言えば日本の高度経済成長が始まった頃も、中学を出たばかりの団塊の世代たちが全国から都市へ移動して安い労働力を提供し、「金の卵」と呼ばれていたことを思い出しました。

 まだ四月にならないというのに刺すような直射日光にたまりかね、車窓のカーテンを引こうとするのですが、途中で止まってしまって日差しを遮ることができません。よく見ると、カーテンレールを内側から固定しているモクネジの頭が邪魔をして、そこから先へカーテンをすべらせないのでした。その昔、日本製の石鹸には砂が混じっていた時代があったと聞きますが、この国の生産技術は緻密さにおいてまだまだ課題を背負っているのでしょう。

 泰山は世界遺産です。

 日本語の話せない若い女性ガイドが中国語でする説明を、日本語のたどたどしい中国人の友人が通訳をするのですから、電波事情の悪い場所でラジオを聞いているみたいに理解は断片的ですが、何でも中国には五つの有名な山があって、一番東に位置する泰山は、太陽が最初に昇る山として最も位が高く、歴代の皇帝が大切なお祭りを行って来た場所だそうで、

「日本で言うと富士山みたいに有名な山です。明日は早く起きて日の出を見ます」

 寒いから気をつけてくださいねと、友人は襟元をかきよせるようなジェスチャーをして見せました。それにしても、一番東に位置するから最も位が高いというほどの太陽信仰を持つ国に対し、恐らくはそれを承知の上で、『日出ずるところの天子、日没するところの天子に文を致す。つつがなきや』という書き出しの手紙を送りつけた聖徳太子は、一体どんな外交上の必要を感じていたのでしょう。遠い飛鳥の時代の隣国との緊張関係に改めて思いを馳せるうちに、バスはいよいよ谷に沿った細いつづら折りの悪路を上り始め、私たちは既に泰山の山麓を走っているようでした。

 鉄柵のゲートが見えました。

 そこで何がしかの入場料を支払って山道をひた走り、中腹でロープウェイに乗り換えて一気に山頂に到達するはずでしたが、バスは停車したまま出発する気配がありません。見ると、バスを下りた運転手とガイドと中国人の友人が、複数のゲートの職員と激しく口論をしています。中国語同士のまるで喧嘩のようなやりとりの後、戻ってきた運転手は乱暴にバスをUターンさせ、ガイドは唇を結んだまま涙ぐみ、友人は興奮して事態をこう説明しました。

「車内の消毒がしてないから通さないと言います。つい先日まではだいじょうぶでしたが、ゲートの責任者が変わりました。中国では責任者が変わると、こういうことよくあります。消毒設備がないので困ると言うと、消毒済みのバスを斡旋すると言います。おカネ儲けです。これ良くない風習ですね」

 鳥インフルエンザの記憶も過去のものになったというのに、今さらバスの消毒には驚きましたが、消毒済みのバスを斡旋するしたたかさにはもっと驚きました。しかし、本当に肝をつぶすのはその後でした。少し離れた場所で消毒済みと称する別のバスに乗り移り、再びゲートにさしかかった私たちの車両に、くだんの責任者らしき背広姿の男が乗り込んで来て、語気荒く二言三言話し始めたかと思うと、運転手と友人がすかさず駆け寄って、こっそりと何かを彼の手に握らせたのです。それが何であったかは後で聞いても二人とも決して教えてはくれませんでしたが、結局責任者は押し切られるように車を下り、バスは無事ゲートを通過した訳ですから、我々は、世界遺産の入り口で、これまた世界遺産のような中国の悪弊を見る機会に恵まれたというべきでしょう。

 そんな人の世の駆け引きをよそに、泰山は超然と別天地でした。千五百メートル余りの険しい岩山に秦の始皇帝が建造したという気が遠くなるような石段を、休み休み一日がかりで上り切って御来光を拝むべきところを、ロープウェイで一足飛びにほとんど頂上付近に降り立つのですから、私たちは決して信仰の徒ではなく観光客であった訳ですが、それでもロープウェイの終点から山頂のホテルまでの石の坂道は足の関節が粘りつくような距離でした。岩山に立ちはだかる大門。断崖に立ち並ぶ建造物。四方の山々を遥かに見下ろして瓦を重ねる天空の赤い寺院。見上げるような岩壁に刻まれた文字、文字、文字。その壮大なパノラマを描き出すには私の文章力は不足しています。翌朝は冬装備をしてホテルを出、未明の山頂を目指すおびただしい数の人の群れに加わりました。やがて東の空を睨んで立ちつくす老若男女の顔を雲間から陽光が照らし出すと、どよめきが沸きあがりました。尾根づたいの人垣が太陽に向かって一斉に手を合わせました。同じ様に合掌しながら、人類はいつか必ず揺るぎない平和を獲得するに違いない…。私はその時、なぜか訳もなくそう信じていたのでした。