中国の旅7(十三陵・地下宮殿)

平成17年05月21日(土)

 中国の旅の最終日の午前は、明代の第十三代皇帝と彼の二人の皇后が葬られている墓の見学でした。墓と言っても地下深くに建造された石造りの宮殿で、ガイドの説明によると、盗掘を恐れて同じタイプのダミーの墓が近辺に複数存在するそうですから、宮殿のあるじはよくよく猜疑心の強い人間だったようです。千五百八十四年に着工し、六年かけて完成したと言いますから、本能寺で信長が打たれ、秀吉が天下取りの戦いを繰り広げていた時代に、中国では国家税収の二年分の費用をかけて一人の権力者が存命中にせっせとおのれの墓を建造していたことになります。

 観光客の列に加わって石畳の広場を進んで行くと、石の階段が地下鉄の入り口のようにひっそりと口を開けていて、私たちは他人の秘密を覗き見るような気分に戸惑いながら地下へ地下へと下りて行きました。中は、壁も天井も床も立方体の石組みで作られていて、驚くべきことに、高さが九・五メートルもある巨大な宮殿を始めとする大小五つの石室の全てに柱が一本もありません。天井の石をアーチに組むことによって石同士がお互いの重量を支え合っているのです。

 安置された三つの棺の傍らで、決して座るはずもないあるじを待つ豪華な椅子が、権力の持つ狂気のような未練を象徴していました。夢のまた夢・・・。地下に封じ込められた皇帝の見果てぬ夢は、再びまぶしい陽光の下に戻って振り返ると幼稚で滑稽ですらありました。

「みなさん、周囲の石の一つ一つに文字が刻まれているのがわかりますか?」

 ガイドに促されて顔を近づけた石組みの全てには、確かに漢字の列が見て取れました。

「それは石を積んだ人間の名前です」

 説明に慣れているガイドは、まるで天気の話しをするような口調で恐ろしい事実を打ち明けました。

 皇帝は石の一つ一つに積んだ人間の名前を刻ませて責任の所在を明確にし、向こう百年の間に万一石が崩れるようなことがあれば、崩れた石に刻まれた人間の子孫を処刑するというルールを作ったというのです。秘密漏洩を防ぐために、石を積んだ本人は工事完成と同時に殺されたのは言うまでもありません。背中に旋律が走りました。自分の積んだ石が崩れれば、罪もない息子や孫が突然処刑されるのです。当時の人夫たちは一体どんな思いで石に名前を刻んだのでしょう。恐らくは歯肉から血が出るような憤りと恨みを込めてノミを振るったに違いありません。ところが、恨みを刻んだ善良な人夫たちの命は露と消え、たくさんの人の恨みを背負った皇帝は天寿を全うして豪華な棺に納められました。そして、皇帝の思惑どおり、子孫の処刑を恐れて丹念に積まれた石組みは風雪によく耐えて、文化遺産として往時を今日に伝えているのです。

 正義も道徳も庶民のもののようです。

 私は国民が何人いるかを知らない。だから何人死のうと関心がないと日記に書き記した毛沢東も、ユダヤ人を根絶やしにしようとしたヒトラーも、広島・長崎での無差別殺戮を決断したトルーマン大統領も、花を愛で、わが子の病気を心配する普通の人であったにもかかわらず、ひとたび権力者として判断を迫られると、人間を数としてしか捉えられませんでした。地下宮殿に眠った皇帝と同じです。しかし、名前の刻まれた石畳の上で笑って記念撮影をする私たちもまた、屍の山を前にしなければ名前を刻んだ者の悲しみにまで本当には想像の及ばない闇のような残忍さを共有しているのかも知れません。