中国旅行最終回(万里の長城)

平成17年05月27日(金)

 いよいよ私たちは中国旅行の最終目的地である万里の長城にやって来ましたが、遥かな尾根にづたいに空に向かってうねる竜のような城壁を車窓から遠望して、ふいに気がついたことがありました。今回の中国の旅の目的は結局壮大な塀を見ることだったような気がします。孔子廟にも紫禁城にも泰山山頂の寺院にも、おしなべて頑健な石の囲いがありました。その高さたるや、忍者が苦もなく飛び越えるわが国の塀などとは比べるべくもありません。建物を建てれば敷地を塀で囲い、町を作れば町を塀で囲い、国を造れば国ごと塀で囲って外からの進入を防ぐ文化がこの国にはあるのです。それが海を越えてわが国にやってくると、安易なものは生垣になり板塀になり、少し強度を増して土塀になったとしても、目的は視界を遮る程度の可憐なものにすぎません。

 塀だけではありません。建物の色も形も、かの国のものは存在を誇示するように華やかでいかめしく、わが国のものは自然に溶け込むように地味でたおやかです。私は突然、漢字と平仮名の違いを思いました。「い」は「以」が、「ろ」は「呂」が、「は」は「波」が変化したものですが、平安の貴族たちは、それをハングルのように直線を基調にしたいかめしい形に変えることを好まず、曲線に満ちた女性的な文字に変形したのです。

 そう言えば、新聞から看板に至るまで、目にするものの全てが漢字ばかりで表記されていた中国の旅を終え、再び中部国際空港に下り立って平仮名まじりの文章を見た時には、父親に再会したのではなく、母親に迎えられたような柔らかさを感じました。同じ印象の違いを紫禁城と皇居との間に感じます。泰山と高野山との間に感じます。まるで中国を師匠にしたかのように両者の文化は似ていながら、日本の風景は無防備で目にやさしいのです。

 近づいて見る長城は案に違わず、いかめしいものでした。峰を伝い谷を這いながら北の騎馬民族から中華を護るこの一大防御壁は、群雄がそれぞれにおのれの領土を囲っていた土塁を秦の始皇帝が連結延長したもので、成立は紀元前に遡りますが、私たちがその上を歩いた堂々たる煉瓦造りの長城は、明の時代も後期、つまり日本では江戸初期の築造によるもので、至る所に来訪した者の名前が、ときに相合傘の形で刻まれていました。前回の地下宮殿では、石組みに刻まれた名前の血なまぐさい由来に心を痛めたあとだけに、「健一・春奈」という相合傘は何とも平和な印象でした。姫路城の白壁にも落書きが絶えないといいますから、世界遺産に自分の痕跡を残したいという衝動に駆られる観光客は少なくないようです。ひるがえれば、その種の人間が権力を握って己が痕跡を後世に残したものが今回巡った世界遺産群なのだと思い直してみると、長城の煉瓦を汚すたくさんの落書きは、現代に生きる小さな皇帝たちの仕業のような気がして微笑ましくもありました。

 長城は上り口で男坂女坂と左右に分かれ、私は年齢を考えて勾配のゆるやかな女坂を選びましたが、それでも頂上にたどりつくまでには息が切れて、ふう…と両肘を乗せた城壁の外に、中国の大地が一大パノラマを展開していました。その茫漠とした広さを目の当たりにすると、海という自然の城壁に囲まれたわが国と違って、隣国との境界を持たない大陸の権力者が、領土をできるだけ堅牢な塀で囲いたくなる気持が解るような気がします。皇帝は敵対勢力から身を護るためにそびえ立つ城壁で領土を囲い、皇帝が交代する度に壁と城と墳墓の築造に駆り出される民衆の方は、今度は権力から身を守らなくてはならなかったのでしょう。

 政府を信用しない国民と、力で服従を強いる政府…。

「天安門事件はなかったことになっています」と言ったっきり口をつぐんだガイドの頑なさは、国民が政府から身を守るために築いた精一杯の城壁だったのです。旅を主催した中国籍の友人の趣味が分を越えた高級時計の蒐集であるのも、心底に貨幣という政府そのものであるような紙片は信用しないという気分が存在しているとしたら、やはり個人が身につけた保身の方法なのです。

 私たちが帰国して間もなく、中国で日本批判の大規模な暴動が起きました。滞在中は兆しもなかっただけに、晴天下で嵐に遭遇したような驚きです。大使館が襲撃され、日の丸が焼かれ、中国の副首相と小泉首相との会談がキャンセルされる一方で、東シナ海の中間線で着々とガス田の採掘が強行される報道を見ると、まぶたに天まで連なる長城の姿が浮かんで来ます。目に悠然と映る長城は、武を誇る荒々しさと外敵に怯える不安の象徴でもありました。一連の出来事が同じ機序の下で生起しているとすれば、政治と経済の混迷から脱した大陸の一大権力は、ちょうど始皇帝が万里の長城を築造したように、外交という石組みで今度は世界に向けて「中華」を護る長大な囲いを荒々しく築き始めたような気がするのです。

 列車に飛び乗るように参加した中国の旅を終えて旅行記を書く作業にとりかかってみると、あれほど鮮明だったはずの世界遺産の感動が、ただ途方もなく巨大であったという印象の中に埋没してしまい、思ったように文章になりませんでした。百聞は一見にしかずと言いますが、人間の記憶は感情にまでは及ばぬものらしく、一見はまたたくまに色褪せて、絵葉書を見たのと大差はなくなるもののようです。わずかな文章を書き終えるために、多少の文献を読み、思考を巡らしたことで、実はようやく私にとっての中国の旅が今完結したような気がしています。