まだちぎれてない

平成17年07月16日(土)

 ドラマではよく刑事が二人、便器に向って小用を足しながら犯人の足取りについて会話を交わすシーンが出てきます。なぜトイレなのかということに関心を持っても仕方のないことかも知れませんが、きっと刑事という職業の人間くささを、排泄という行為をさせることで描いているのでしょう。女性の刑事では決して描けないシーンです。しかし私が役者だったら、あのシーンを撮るのには羞恥が伴うような気がします。たくさんのスタッフが取り囲んでいます。人間よりも鋭い視線でカメラがじっと見つめています。その向こうには監督の目があって、

「だめだよ、二人とも下向いてちゃ。絵にならない」

 なんてNGが出たあとで監督が言うのです。

「いいか?男がおしっこする時のスタイルには二通りあるんだ。おしっこの落ちる先を見つめるタイプと、目を細めて遠くを見つめるタイプ。おしっこを見つめるやつは便器に落ちてる煙草の吸殻を攻撃する。縮れた毛が張り付いていたりするとむきになってそいつを便器の穴に流し込む。何もなければ消臭ボールを直撃して穴を開けようとする。こういうのは這うようにアリバイをつぶして犯人を追い詰めるタイプだ。うっとりと遠くを見つめるタイプは昼飯に何を食おうかなんて考えてる。今年の暮れは久しぶりに故郷に帰ろうかなんて考えてる。今朝着替えてきた背広のポケットに、チーママの『なおみ』の名刺が入っていたのではないかと心配している。こういうのは犯行の動機を考えて犯人にたどりつくタイプだ。君はあとのタイプの刑事なんだから、下を見て用を足しちゃだめだよ」

 監督の人間観察は半端ではないのです。

「ああ、カットカット。だめだよ二人ともおんなじ始末の仕方じゃ。人間のやることには全て性格が表れるんだ」

 またしてもダメ出しです。

「神経質な男は振る、振る、振る。絶対にしずくが垂れなくなるまで丹念に振る。おおらかな男は二度三度からだごと揺すってしまいこむ。それでズボンの前に丸い染みができたりしても、おおらかだからそれにも気付かない」

 経験あるだろう?と言われると、確かに経験があるのです。

 福祉事務所に勤務していた頃の、はるか昔の出来事です。総務課に配属されていた何とかという職員は、私より少し年齢が上だと思うのですが、大変神経質そうな人物で、いつも三つ揃えのスーツでビシッと身を包み、国家の将来を憂えているように眉間に皺を寄せていましたから、一度も口を利いたことがありませんでした。その彼と偶然並んで用を足したことがあるのです。神経質な男は振ると監督が言ったように、用を足した彼は下を向いたまま盛んに振って振って、しずくが私の顔にかかるかと思うほど振るのです。私は思わず声をかけました。

「あんまり振るとちぎれるよ」

 初めて口を利く人に言う台詞ではありませんね。彼も思いがけなかったのでしょう。そして今思えばどうにも答えようがなかったのでしょう。私の方に顔を向けると、ニッと笑って便器を離れました。その笑顔が日頃の表情と打って変わって何とも印象的でしたが、それから先も結局親しく口を利く機会もないまま、彼は県庁に異動して行きました。

 二年ほど経って県庁に出張した私がトイレに立つと、偶然ということはあるものですね。隣で用を足し終えた男の振り方に見覚えがありました。

「あ!」

 と私が口を開くより先に、彼が笑って言いました。

「まだちぎれてない」

 あれから二十年経った今でも、便器に向かう刑事の背中がテレビに映る度に、眉間に皺を寄せた三つ揃えの男の笑顔を思い出します。してみると男のトイレは、役柄の個性を表現する格好のシチュエーションなのかもしれません。