非行少年の特技

平成17年07月17日(日)

 非行少年の施設は、今は児童自立支援施設という名称ですが、私が勤務していた頃は教護院と呼ばれていました。あるいは剃り込みを入れ、あるいは裏地の真っ赤なガクランを着た中学生ばかりが五十人、一人、また一人と指導の限界を越えて施設にやって来ると、これまでとは全く違う規則正しい寮生活が始まります。通勤交代とはいえ職員は週に一、二度、彼らと寝泊まりを共にして指導に当たります。ノウハウはありません。こうすれば非行が改まるなどという方法はないのです。一定期間悪い環境から遠ざけて、できるだけ健全で建設的な人間関係を経験させる中で心の浄化を期待するという、考えてみればそれは植物を育てるような仕事です。

 義務教育ですから昼間は施設内に設置された学校へ通います。土日も夏休みもありますが、帰るところは同じ敷地内の寮なのですから子供たちは大いに不満です。洗濯をし、風呂を洗い、掃除をし、決められた集団生活上の役割をきちんと果たすことが、施設の生活の目的であり更生の手段なのです。

 冬には地区の学校対抗の駅伝に参加しました。元来が勝負ごとの好きな彼らは練習に励み、満を持して本番に臨みます。私は補欠を含めて四人の選手とともに中継点に向かいました。そもそもが敷地外に出る機会を厳しく制限されている子供たちは、車に乗って外の世界に出るだけで大はしゃぎです。

 目的地に着いて車から下りると、冷気で吐く息が真っ白になりました。

「さあ、柔軟体操だ!」

 私は車のドアを勢いよく閉めましたが、

「先生、ゼッケンは?」

 と言われてはっとしました。

 ポケットに車の鍵がありません。

 しかし車のドアは開きません。

 何と、こんな大切な時に迂闊にもキーロックをしてしまったのです。

「先生、ゼッケンがなかったら失格だよ」

「俺たちだけじゃなくて、ここから先は全部出場できないんだろ?」

「どうすんの?」

 と責められても、頭の中は真っ白です…と、

「みんな針金を探そうぜ!」

 一人の児童の言葉で全員の心がひとつになりました。

 児童に逃げられたら困る…などと考える余裕もなく、私も犬のように地面を見つめて歩き回りましたが、一般道路においそれと針金など落ちているはずがありません。

 すると道から外れた農家の小屋のようなところの周囲を探し回っていた児童が、

「あったぞ!」

 と大声を上げました。

 散っていた子供たちは、一斉に車の回りに集まりました。

「本当にそんなんで開くのか?」

 と見守る私に、

「ちょっと先生、静かにしてよ。集中してんだから」

 針金を手にした児童は金庫破りのような手つきでそれを車の窓ガラスの隙間に差し込むと、真剣な表情で何度も上下に動かしました。

「早く、ランナーが来るよ!」

 という言葉にかぶせるように、

「開いた!」

 児童が針金をかざして喜びの声を張り上げると、期せずして拍手が起きました。

「有難う!有難う!」

 心からお礼を言う私に照れたように笑う児童は、これまで見たことがないほどいい顔をしていました。

 ゼッケンをつけるのと同時にタスキを受け取って走り出した駅伝の成績を覚えていません。しかし、教護院の教員が非行少年の車上狙いの特技に救われた滑稽さは忘れません。

 それ以来私は、車の戸締りには十分注意を払うようになったのです。