楽しめない民族

平成17年07月28日(木)

 立ち寄った中華料理店の町内が、偶然お祭りでした。

 田舎の祭礼と違って都市の祭りには神事の厳かさはありません。一定区域の道路から車を締め出して歩行者天国にし、歩道には露天商から鉄板焼きの匂いがたちこめています。缶ビール片手の若者や、子供連れの夫婦でごった返す祭り会場に、三種類の装いの集団が座って出番を待っていました。白地に紺の波模様の浴衣を着た集団は、ひと目でそれと解る婦人会の民謡クラブです。車夫のような黒い衣装で身体を包み、膝まである白半纏から地下足袋を覗かせた威勢のいい一団は、やや年齢の高い女性中心のグループです。半身が振袖で、半身がスパンコール付きの水着という派手ないでたちの一群は、露出を恐れぬ若いギャルの軍団でした。

 消防署のブラスバンドのパレードが、祭りの本部席の正面で晴れがましく一曲演奏して遠ざかると、まずは浴衣集団の民謡踊りが始まりましたが、身振り手振りを整然と揃えて練習の成果を披露する踊り手たちの表情に笑顔がありません。修身の教本でも読んでいるかのように険しいのです。気がつくと、本部席も踊りをとりまく観客も、まるで試験監督をしているかのように無表情です。いえ、かく言う私自身が腕を組み顎を引いて、出番を待つ力士のように背中を反らしているのでした。

 ここは祭り会場だというのに、一体どういうことなのでしょう。ひょっとすると我々は、こういう状況で楽しむことの大変苦手な民族なのではないでしょうか。そういえば、高校生たちのモダンダンスの発表会に参加した時も、悲壮な顔で踊る出場者を、観客はニコリともしないで見つめていました。三十年代のロカビリーを生演奏で聞かせる店で飲んだ時も、客は美術館の展示を見るように、静かに耳を傾けていました。剣道、柔道、書道、弓道、華道、茶道、香道…。考えて見れば、お茶や香りを楽しむ行為まで「道」と位置づけて励んでしまう民族は、見られる側と見る側に別れたとたんに発表と審査を開始してしまう哀しい習性を持っているのかも知れません。

 白半纏のグループが民謡と交代しました。

「さあ皆さん、手拍子をお願いします!」

 激しい曲に合わせて、私は足でリズムを取り、手拍子を打ちました。

 目の前では威勢のいい女たちが、ひらりひらりと半纏の裾をひるがえして軽やかに踊っています。

 ところが観客がノリません。気が付くと、私はたった一人で手拍子を打っていました。見られている自分を意識しました。すると急に気恥ずかしくなりました。足のリズムをやめました。手拍子を次第に小さくして行って、ついに胸の前で合わせた両手をそっと下ろしました。見られる側と見る側に別れた時に、楽しめない気分になったのです。コンサートで見せる若者たちの激しいノリは、見られる側と見る側に別れていないところに実現していたのです。

 振袖と水着の一団の踊りはさらに激しいものでしたが、私は会場を後にしました。楽しめない自分に気が付くことで、さらに内部分裂した気分から早々に逃げ出したかったのかも知れません。