七夕

平成17年08月01日(月)

 商店街の夏祭りには神事のおごそかさはないと言いましたが、元来が神さまとは無縁の経済活動ですから、商店街ごとに開催日が重複しないように工夫してあるのでしょう。先日見た夏祭りから一週間も経たないというのに、職場から帰りついた駅前の商店街は、七夕祭りでごった返していました。

 出店で買った生ビールを片手に、アーケードから垂れ下がる飾り物や肩が触れ合うような人込みを縫って歩いてゆくと、石畳の広場にしつらえられた大きな笹竹に、色とりどりの短冊が結ばれていました。

 いくつかを紹介すると、

『自転車が乗れるようになりますように』や、

『にんじんが食べられるようになりたい』

 などは身に覚えがありますし、

『アジレンジャーになりたい』や、

『タクシーの運転手になりたい』

 などは子供らしくて微笑ましいのですが、

『家族みんなと、天国のじいちゃんとパピーが元気で暮らせますように』

 となると、頭は疑問で一杯です。

 天国にいるのはじいちゃんだけなのでしょうか?パピーも一緒なのでしょうか?天国で元気で暮らすってどういうことなのでしょう?

『よっちゃんの変な咳が止まりますように』

 という短冊を読んだ時には、「こっ…」「こっ…」という、かぼそい咳の音が聞こえたような気がしました。結核?喘息?まさか肺がんではないでしょうね?よっちゃんと言うのですから咳に苦しんでいるのは小学生でしょうか?中学生でしょうか?入院してるとしたら、お祭りの日ぐらいは外泊を許されて、よっちゃんもこの短冊を読んだでしょうか?

『早くお父さんができますように』

 と書いた子は、お父さんを失ったのですね。事故死でしょうか?病死でしょうか?離婚でしょうか?いえ、理由はどうでもいいのです。書いた子はお父さんを失った悲しみにくれているのではありません。新しいお父さんを望んでいるのです。ひょっとすると、すでにお母さんには恋人がいて、子供たちも結婚に賛同しているのかも知れません。それどころかお母さんの関心が恋人に傾いて行くのが淋しくて、お母さんを奪わない安全なお父さんを求めているのかも知れません。

『お父さんがお母さんを許してくれますように』

 という短冊などは深刻です。

 お母さんの浮気がお父さんに発覚したのでしょうか?消費者金融で多額な借金でもしたのでしょうか?あるいは姑とつまらない諍いを繰り返して、実家に帰されてしまったのでしょうか?いずれにしても夫婦の間に子供が心を痛めるような根の深い確執がありそうです。

 短冊は、とんでもない人間ドラマの入り口だけを見せてひらひらと夜の風に揺れています。書いたのが無邪気な子どもたちであるだけに、日常が反って生々しく傷を晒しています。

 折りしも賑やかな阿波踊りの一群が近づいて、会場は沸き立つような熱気に包まれました。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃそん、損!」

 えらいやっちゃ、えらいやっちゃ…と踊り狂う踊り子たちの顔に光る汗、汗、汗を眺めながら、踊る阿呆や見る阿呆の一人一人にも、実は余人の理解を寄せ付けないオリジナルなドラマがあるのだと思うと、それやこれやを押し抱えたままで踊り狂う人間というものの健気さに、ふと目頭が熱くなるのを感じたのでした。