温泉の風景

平成17年01月30日(日)

「続々・老いの風景」のまえがきは、温泉で出会ったお年寄りとのやりとりを中心に展開していますが、近くまで出かける仕事があったので、懐かしさにかられて同じ温泉に浸かって来ました。

 木製の巨大な桶の形をした露天風呂で、アメリカの青年と日本人の青年が会話をしていました。

「サンダイオンセントハ、ナンデスカ?」

 たどたどしい日本語で尋ねるアメリカの青年に、

「オウ、三大温泉、それ、三重県の三大温泉ね。ユノヤマ、ナガシマ、そしてここ、榊原温泉です」

 日本の青年が答えます。

「ユノヤマ?」

「イェス、ゆのやま。山の上です。ながしまは、ユーノウ、海の近くです」

「ユノヤマ、イマカラ、イケマスカ?」

「いまから?オウ、ノー、ちょっとタイヘンです。ケッココウ距離、アリマス」

 発音は英語でしたが、全部日本語でした。

 二人が去ったあとに、眉の太いお爺さんと年長ぐらいのお孫さんが入って来ました。

 ウッと顔をしかめて肩まで湯に浸かるお孫さんに、先客のお年寄りが聞きました。

「どや?ぼく。熱いか?」

 すると、

「これくらい熱いとは言えん」

 すかさずお爺さんが答えました。

 お孫さんの答えが得られなかったのでがっかりしたお年よりは、今度は満面の笑顔をお孫さんに向けて、

「ぼくは、どこから来た?」

「津ゥや」

 またしても答えたのはお爺さんでした。

 お年寄りは急に無表情な顔になって、

「さて…」

 と湯船をまたいで出て行きました。

 脱衣場にはたくさんのお年寄りがいました。

 年を寄ると、冬の衣服は脱ぐのも着るのも時間がかかります。私の隣のロッカーでは、鳥ガラのように痩せたお年寄りが、着衣の最中でした。白いブリーフの上にラクダの股引を履き、同じくラクダのシャツを着た上にモコモコの腹巻きを巻き、分厚い靴下とカッターシャツを身につければ、あとは年齢の割りには派手なブレザーを羽織るだけなのですが、動作が緩慢なため、恐ろしく時間がかかります。ふと見ると、ロッカーのキーに百円玉が戻って来ていました。きっと取り忘れるに違いない…。そう思うと気になって、先に立ち去る訳にはいきません。パンツを履いては風に吹かれ、シャツを着てはひと息入れて、私もお年寄りとペースを合わせました。

「あの、これ、忘れましたよ」

「おや、これはこれは、ご親切に」

 私の脳裏には心温まる情景が浮かんでいましたが、そんな私をよそに着衣をし終わったお年よりは、百円玉を無造作にポケットに入れると、ゆっくりと脱衣場を出て行ったのでした。